ブログネタ:春の曲と言えば?
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※今回の日記はSSL設定のため、現代口調となっています。
慣れない学校生活がスタートして数日が経った。
私以外は全員が男子生徒、教員ももれなく男。
不安がないと言えば嘘になるけれど、皆良くしてくれるし、何よりも兄の薫が同じ学内にいる事が一番心強かった。
薫とは事情があり、数ヶ月前までは離れて暮らしていた。
私は薫の存在さえ知らなくて…でも薫は私の事を忘れた事なんか一度もなかったと言った。
それは嬉し事でもあり、私達兄妹の間にある小さな亀裂でもあった。
その日私は部活動の見学のハシゴをしていて、学校を出たのは閉門時間ギリギリだった。
風紀委員の仕事を終えた薫と玄関でばったり出会ったため、薫の少々口煩いお小言を聞きながら一緒に下校する事となった。
寄り道を渋る薫を『夕食時間が遅くなると大変だから』と説き伏せて、夕食は外で簡単に済ませる事にする。
その帰り道、薫が珍しくさらに寄り道をすると言い出した。
(どうしても行きたいところってどこだろう?)
薫に連れられて来たのは小さな児童公園だ。
たくさんの桜の木の下に子供向けのジャングルジムや鉄棒、ブランコが設備されている。
薫は黙ってブランコに近づき、鞄を側に放り投げてブランコに腰を下ろした。
私も薫に習い、鞄を置いて隣のブランコに腰を下ろす。
キィ…
「…」
キィ…
「…」
キィ…
ブランコを漕ぐ、金属の軋む音だけが静かな公園に響き渡る。
(なんか気まずい。薫、機嫌が悪いみたいだし…もしかして…夕ご飯作るのサボったから怒ってる?)
やがて薫が沈黙を破り言葉を発した。
「千歳…お前春の歌っていったら何を選ぶ?」
「春の歌?えっと…たくさんあるよね?ケツメイシの『桜』とか、いきものががりの『SAKURA』とか…桜の歌が多いかな。あっ…それから『さくら さくら』。皆知ってるもんね♪」
さくら さくら
野山も里も
見渡す限り
霞か雲か
朝日ににおう
さくら さくら
花ざかり
「この歌の一番最初、さくら~ さくら~ってフレーズは昔誰かに教えてもらったハズなんだよね。でも思い出せなくて…。」
「クス…思い出せない?」
薫の嫌な感じの笑い方が耳に入った。
横を向くといつもの意地悪そうな、でも…何故か泣き出しそうな薫の顔が目に入った。
「俺は忘れた事なんかない。これだけは忘れなかった。あの日も桜が満開だった。俺とお前はこの公園にいて、危ないって言ってるのに、お前はどうしてもこのブランコに乗りたいってきかなくて…。俺はお前をブランコに乗せて落ちないように背中を押してやってた。お前が『お花が綺麗だね』って笑ったから、俺は憶えたての『さくら さくら』のフレーズを繰り返し繰り返し歌ってやったんだ。」
「嘘…」
薫がわざとこんな嘘をつくとは思わなかった。
でも、私はそんな事ひとつも憶えていない。
「嘘じゃない!」
薫の肩も声もすごく震えていて…でも私は何も言えなくなってしまっていた。
「しばらくしたら綱道と南雲の人間が来て…お前は鋼道に、俺は南雲の人間に連れて行かれた。お前が俺に『またね』って言ったから…またすぐに会えると思っていた。でも綱道もお前も迎えには来なくて…。我慢して我慢して…やっとお前を探し出したら…ははっ…俺の事一つも憶えてないだって…。」
薫が南雲家でどんな風に過ごしていたのかは知らない。
薫は他人にも私にも喋らないし、それに聞いてはいけない気がしたから。
一度だけ斎藤先輩から『けして幸せと言える状況ではなかったようだ』と聞いた事がある。
だから…怖くて聞けなかった。
もしかしたら薫にとって、あの時ここで見た桜も『さくらさくら』の歌も、数少ない楽しい思い出なのかもしれない。
「薫…私の事…恨んでるの?」
「あぁ…憎くて憎くて堪らないね。」
私は薫という兄がいた事実が単純に嬉しかった。
今まで離れていた分の時間を埋めたいと思った。
だから一緒に暮らそうと提案した。
じゃあ薫が私と一緒に暮らす事を決めたのは何でだろう?
単に南雲家に居たくないだけなら、学園の寮に入るか一人暮らしをすればいい事だと思う。
憎んでる私と一緒にいる必要はない。
(復讐のため…とか?でも…)
「…」
私はブランコから飛び降り、薫の後ろに立った。
「薫!お花が綺麗だね!」
「はぁ?」
私は薫の背中をそっと押した。
「馬鹿、何してる、やめろ!」
「止めないよ。今度は私が薫の背中を押してあげる。ねぇ、知ってる?『さくら さくら』って歌詞が二通りあるんだよ。」
「知るか…そんなの。」
「じゃあ今度は私が薫に『さくら さくら』の歌を教えてあげる。」
さくら さくら
やよいの空は
見わたす限り
かすみか雲か
匂いぞ出ずる
いざや いざや
見にゆかん
「薫…もう遅いかもしれないけど…私は薫との思い出をたくさん作りたいよ。一緒に過ごして、一緒に出かけて、一緒に四季を感じて生きて行きたい。」
薫は何も言ってはくれなかった。
同意も…拒絶の言葉も…。
ただ黙って…私にされるがままブランコに揺られている。
「薫、そろそろ帰ろうか?夜風が冷たいから風邪ひいちゃう。帰ったらすぐにお風呂の準備するからあったまってさ…。ねぇ、帰ろう。私達のお家に。」
「…」
薫は黙ってブランコから降り、鞄を手にして歩き始めた。
私も無言で薫の後ろを追いかける。
今日の出来事は二人だけのもの。
今日の想い出は私と薫だけのもの。
私達兄妹の、初めての共通の思い出。
見ていたのは
優しい光を放つ春の月と
寂しげに散りゆく桜の花だけ。