誰かに自分の思いを伝える。
言葉という音にのせて
果たして…それは伝わっているのでしょうか?
この思いを伝えるために、私は何をしたらいいんでしょう…。
夕餉の時間
「あれ?千歳ちゃん、山南さんは?」
「あっ…いらっしゃって…いませんね。どうしたんでしょう…。」
理由はわかっていました。
(私の顔を見たくないから…。私の言葉が足りなかったから…山南さんを怒らせてしまった。)
山南さんは出張中に左腕を怪我してしまいました。
命に別状はなかったものの、二度と刀を握る事は出来ないそうです。
それ以来、山南さんから笑顔が消えました。
それでも私にとって山南さんが山南さんであることは変わりがなく、それは隊士の皆さんも同じだと思っていました。
でも、それは違う。
刀が握れない山南さんは、この場所にいる意味を失ってしまった。
山南さんがいくら優れた論客だとしても、刀を握る事の出来なければ、空を飛べない鳥と同じなのです。
「左手が使いにくいところを、お前らに見せたくねぇんだろ。ほっとけ。」
「じゃ…俺、山南さんの魚も~らい!」
「じゃ…俺は平助の魚も~らい!」
「んだよ、新八っさん!真似すんなよ!!」
いつもならつい笑いが漏れてしまう小競り合いに笑う事も出来ず、私はただお膳の前でぼんやりとたたずんでいました。
夕餉の後、私は土方さんに呼ばれ副長室へと足を運びました。
「失礼します。雪村です。」
「入れ。」
短い返事を確認して中に入ると、土方さんは文机から目を離さないまま、私に問いかけました。
「留守中に何があった?」
「えっ?」
「聞こえねぇのか?俺の留守中に何があったっんだって聞いてんだ。」
「何も…」
「じゃあなんでそんな辛気くせぇ面してやがる。」
「…」
「『俺に泣き言を言うな』と言ったから、黙ってんのか?」
溢れそうになる涙を堪えながら、私は土方さんに事の顛末を伝えました。
「…」
暫し沈黙の時間が流れました。
(きっ…気まずい。こうやって少し冷静になってから口にしてみると、なんだか子供の喧嘩みたいなんだもん。)
「自分の気持ちを相手に伝えるためには、お前は何をすべきだと思う?」
「行動…でしょうか?」
「お前はこの状況を改善するために、何か行動したのか?」
「いえ…これ以上どんな言葉をかけても、山南さんを傷つけてしまいそうで…。それに、山南さんは私の言葉など、もう聞く耳は持たないと思います。」
バシッ
文机に筆を強く置いた音が部屋に響き、私は驚いて目を見張りました。
土方さんが私の方に向き直った事でさらに緊張が走り、私は背筋を伸ばして姿勢を正しました。
「やまとうたは ひとのこころをたねとして よろずのことの葉とぞなれりける」
「はい?」
「和歌は人の心を種として、そこから無限に広がった言の葉だ…って意味の歌だ。千歳、葉を生い茂らせ、花を咲かせるためには何をしたらいい?」
「種を蒔きます。」
「それから?」
「水をやり、陽に当てたり…大切に育ててあげる事が必要です。」
「山南さんに言葉をかけた。お前がしたことは、ただそれだけだ。」
「…」
「お前の言葉が伝わらなかったのは、その言の葉を育てる何かが足りなかったんじゃねぇか?種を蒔いたからといって芽が出るわけじゃねぇ。葉が出たからといって花が咲くわけじゃねぇ。土を整え時期が来たら種を蒔き適度な水を与える。お前が山南さんに何かしたいと思うのなら、山南さんをどう思い、どうしたいのか。まずはそれを伝えるべきじゃなかったのか?」
あの時、私は山南さんに声をかけた。
単なる親切のつもりだった。
でも、それだけだったから、山南さんには私の気持ちが伝わらなかったんだ。
「『言葉』の『言』には『事』と同じ意味がある。だから『事』は事実にもなりうる重い意味を持つようになった。それを事実を伴わない軽い意味を持たせるために『端』の文字を添えて『言端(ことば)』とした。それが今『端』ではなく『葉』、『言葉(ことば)』になった理由は、豊かさを表すためだと言われている。言葉ってもんは確かに軽く、簡単に紡げるものかもしれねぇ。だが、どうせなら…人の心の氷を溶かすくらい、あったかいもんの方がいいだろうが。」
「私に出来ますか…山南さんの心の氷を溶かす事が…私に出来ますか?」
「そんな事、やってもいねぇのにわかるわけねぇだろ!」
土方さんは不機嫌そうに鼻を鳴らし、私に背を向けて仕事に戻った。
私は黙って深々と頭を下げ、自分の部屋へと戻りました。