今日は、専門学校時代の教え子の結婚式に参列しました。


あの頃は少年のようにも見えた、若い学生が、今では内閣府で立派に国の行政の中心を支える仕事をしています。


教科書を使ってあれこれと悪戦苦闘していた学生も、社会人となり、大勢の人に教育され、影響を受けながら大人になっていきます。


人生という旅の途中で、出会う多くの人々からたくさんのことを教えてもらい、支えてもらっているのです。


教え子たちは私のことを恩師だとか先生と呼んでくれますが、もうすでに彼らは、私の知らない世界で多くのことを経験し、たくさんの専門的な知識を身につけ、困難な仕事をこなしているはずです。


教育者(教師も親も)は、自分が関わっているほんのわずかな時に、このこどもたちを何とかしてやりたいと強く願って全力を尽くさなければなりません。


それと同時に、この子を教育するのは自分だけではなく、数多くの人々がたくさんのことを教え、影響を与え、成長させているのだ、自分のできることは限られているのだ、というある種の諦観をももたなければならないのです。


この二つの考え方や行動は矛盾するかにも見えますが、そのわずかなエッジを渡り続けることのできる人が、教育を継続できる人なのです。


人生という旅の途中で出会うすべての人同士は、お互いにお互いを教育し合っているとも言えます。


その意味で、先に述べた二つのことは、人間社会全般にいえることなのかもしれません。


ともあれ、立派に成長し、家庭をもち、毎日立派に自分の任務をこなし続ける教え子たちを、誇りに思った一日でした。