【兵糧攻めの舞台となった鳥取城~山下ノ丸前編】 Vol.1284 | philosophia(philos愛好する+sophia知)→学問愛のブログ

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こんにちは、philosophiaですにひひ
 
令和最初の攻城TRG(7/15~17)の続編です。

若桜鬼ケ城を後にし、鳥取城下へ戻ってきました。
 
<箕浦家武家門>・・・鳥取城下唯一の武家長屋門で入母屋造りの海鼠壁と白漆喰仕上げ
 
 
愛車を駐車場に停め
 
 
標高263mの久松山(きゅうしょうざん)全体が、鳥取城跡です。
 
山の麓が、山下ノ丸で三の丸、二の丸(関ケ原後の近世)
 
山頂が、山上ノ丸で本丸(戦国時代の中世)
 
そして山の向こう側に秀吉が本陣とした<太閤ケ平(たいこうがなる)>です。
 
山頂には、本丸の石垣がチラッと見えますネ!
 
 
<吉川経家公像>
 
 
 
 秀吉による天正9年の第二次因幡攻めが、いわゆる「鳥取城の渇え殺し」と言われ、
 
戦国時代でも最たる兵糧攻めの舞台となりました。
 
いつものように、縄張りを確認しておきます。
 
 
山下ノ丸を時計回りに攻城することにします。
 
お堀沿いに進むと
 
 
堀にかかる橋は、発掘調査後の近年(2018.10.10)整備復元された<擬宝珠橋>です。
 
整備状況の説明版
 
 
三の丸(現鳥取西高校)へ続く<大手登城路>で、現在整備中で
 
近づくとまだ木の香りがしました!
 
 
さらに堀沿いに進むと
 
 
搦手へ
 
 
土橋を渡りながら
 
 
やはり石垣に目がいきます(笑)
 
 
 
振り返ると、先ほどの擬宝珠橋のカーブがいい感じです(^^♪
 
 
<北ノ御門跡>
 
 
<鳥取県立博物館>
 
 
ここで、名城スタンプを押印します。
 
 
日本100名城:50/100
 
芝生広場から二の丸の石垣が見えます。
 
 
天守台のように見えるところに、御三階櫓が上がっていたところです。
 
 
引用は、教科書でおなじみの山川出版社刊
 
 
「レンズが撮らえた幕末日本の城」です。
 
<城代屋敷跡・上御厩跡・米蔵跡>
 
 
 
<仁風閣>(明治時代の旧藩主別邸)
 
 
復元された<西坂下門>
 
 
門をくぐると石段が続きます。
 
ここから右膳ノ丸に入ります。
 
 
<隅櫓石垣>
 
 
左に折れて
 
 
さらに石段を上り振り返ると、三角形の踏石が敷き詰められていて
 
初めて見ましたが、整備された時の遊び心のデザインかな!?
 
 
こういうのが石垣好きにはたまらない角度で、まるで三重奏のようです(笑)
 
 
この石垣の上が二ノ丸です。
 
 
山境に<登り石垣>があり、横方向にたいしての防備も完璧!
 
 
二ノ丸へ入りました。
 
 
 
先ほどの仁風閣と鳥取市街が眼下に
 
 
続きは、後編へ
 

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