『日本を創った12人』②Vol.224 | philosophia(philos愛好する+sophia知)→学問愛のブログ

philosophia(philos愛好する+sophia知)→学問愛のブログ

知的好奇心の探究カフェ~人間哲学の散歩道~

『日本を創った12人』(堺屋太一著)について



¥760

Amazon.co.jp



購入動機は、ドラッカー博士が
日本の「明治維新と戦後の復興について」の
評価が高い理由を探究しようと思い、
いろいろ探していて出会った書籍です。


前回の続きで、二人目は「光源氏」です。

本書では、

紫式部によって創作された『源氏物語』の主人公の光源氏をして、

私たちが平安貴族をイメージするときのその代表格としてあげます。

また「上品な政治家の原型」としての光源氏は

有閑不労所得層として、美意識の世界に耽溺し、

政治家としてのリーダーシップやマネジメントができない

「何もしなかった政治家」でありながら、

「上品な人の原型」を創りだしたというのです。

たしかに、物語の中には太政大臣でありながら、

政治的な財政や税制、ましてや外交問題は

ほとんど描かれていません。


貴族政治家の典型として、家柄、人柄は良いが

現実の政(まつりごと)は治めず、

行財政の実務に関心も知識も乏しく、

あまり指導力は出さず、喧嘩や体力も弱く、

他人を不快にしない社交術は身につけている

現代の二世政治家と酷似しているさまは

滑稽であるとともに危惧の念を覚えました。

現在でも、トップは細かいことを言うべきではない、

よきにはからえ的な人物像を大物的に扱う風潮は

ここがルーツなのかもしれない、と思いました(笑)。

一方、ヨーロッパの貴族の上品さ(ノーブル)は、

戦争を勝ち抜いてきた戦士や騎士の子孫であり、

「克己心と用心深さ」を日本のそれと比較しながら、

喧嘩も強く体力もあり、自ら意思決定し、

環境にも適応できるサバイバル的要素を特徴とします。

これは起業家精神に通じる近いものを感じました。

貴族政治社会の遣唐使が廃止された事実上鎖国の安定期では、

「光源氏型」の「人柄満点、能力零点」の上品な人々が

トップ層になっても機能していたかもしれないが、

転換期においては、本書で言うところの日本独特の「上品さ」が

その弱点として露呈し、まるで帆を失った船のありさまのようです。

本書を読んでいて、あまり政治的なことは言及しない僕でも

思うところがありました。


それは、現在の政治家の方々には、

長期的ビジョンを示すとともに短期的行財政は区別しながら

バランスして欲しいものですね。

選挙のことと党利だけを追求するのは…^^;

追伸

読みながら腑に落ちるとともに、

日本人としてそのルーツというか

アイデンティティを改めて認識するために、

今後も一人ずつご紹介しながらシェアしていこうと思います。