私が小さい頃、ウチにしょっちゅう泊まっている人がいました。
彼もやはり日比谷山岳部、学生時代からちょっと有名なアルピニストだったそうですが、早稲田を経て、毎日新聞社の社会部記者になりました。
当時の私の家は、池上の借家で、お風呂場を改造して洋服屋の店舗を構えていました。
その人以外にも、父の友達が誰かしら来ていて、毎晩のように宴会をしているような家でした。
学校から帰って、店の入り口から入って行くとウナギの寝床のように3部屋あり、真ん中の部屋はいつもその人が寝ていました。
私が布団に飛び乗ると、のっそりと起きて来て、まずタバコに火をつけ、くわえたまま新聞に目を通して居ました。
私はこのオジサンが大好きで、いつも膝に座っていたそうです。
毎日新聞社でも異才を放ち、誰もが一目置く存在だったそうですが、不規則な生活とお酒がたたり、飲み屋の階段から転がり落ちて、42歳の若さで、彼はこの世を去りました。
病院に運ばれてから1週間ほど息があったようで、亡くなるまでの間、山岳部の仲間達が連携して付き添い、連絡を取り合い、一命を取り留めてくれる事を祈り続けましたが、願いは届きませんでした。
葬式には山仲間と新聞社の仲間ばかりが大勢集まり、皆んな男泣きだったと、後々母が話していました。
泣きながら骨壷を開け、遺骨をひとかけらずつポケットに入れて持ち帰ったそうです。
日本中の山に返してやるのだと
後に、彼の文章を後世に残そうと、遺稿集が出版されました。その本には父の寄稿も載せられています。
実家には、その人のピッケル
が、今でも無造作に置かれたままです。
余談ですが、兄貴の名前は、その人が付けてくれたそうで、兄貴は自慢に思っているようで、ちょっと羨ましい私です。


