あなたを見てると 

涙が出るの

でも 悲しいんじゃないの


あなたを見てると 

頬が緩むの

でも 可笑しいんじゃないの


あなたを見てると 

悦びが湧いてくるの

でも 嬉しいんじゃないの



あなたを見てると

涙が出るの

そうね 悲しいの


あなたを見てると

頬が緩むの

そうね 可笑しいの


あなたを見てると

悦びが湧いてくるの

そうね 嬉しいことがあったの



あなたを見てると

涙が出るの

うん 悲しいの


あなたを見てると

頬が緩むの

うん 可笑しいの


あなたを見てると

悦びが湧いてくるの

うん 嬉しいことがあったの



そう

すべて

あなたが教えてくれたの






この空の下の人々が平和でありますように


 लोकासमस्तासुखिनो भवन्तु

oṃ lokāḥ samastāḥ sukhino bhavantu. 



いい音楽を奏でるには、

全てを認める力がある方がいい。


音楽は、否定ではなく肯定。


今を生きているということ。


音楽を奏でるときは、

「今」を知覚し

その決断の繰り返し。


演奏者が良い演奏している感覚は、

生み出された音たちと対話ができている。


一度生まれてしまった音は、

後にも先にも二度と同じものはない。


パフォーマンスに自信が持てないとき、

例えば、こんな事が起きている。


過去の演奏を再現しようとしている時。

集中のすべき所を見誤っている時。

未来を見過ぎている時。


演奏者は、

演奏に集中する方が良いのだが、

欲が暴走している間はうまくいかない。


簡単に言い変えれば、

「感覚」で演奏すればよいのだが、

そうもいかないのが人間の欲である。


基礎的な音楽要素が身についたら、

そこで終わりではないのが音楽だ。


「その瞬間を愉しむ」


分かりきっているようなことだが、

目的が音楽する事から外れてしまった人ほど、

これはとても難易度が高い。


誰だって、

認められたいと願う。


しかし、

高みを目指せば目指すほど、

出発地が見えにくくなる。


困難な状況を乗り越えられるのは、

いつだって出発地にいた自分だ。


その立っている足は、

ちゃんと大地を感じれているだろうか。


音楽を奏でることは、

演奏者が

音楽そのものになることだ。







この空の下の人々に穏やかな時間が流れますように。


 शान्तिशान्तिशान्ति:






どんなに誠意を尽くし、

そこで役割を果たしたとしても、


自分から離れていった言葉や行動は

相手のものである。


結論から言えば、

相手は変えられない。


自分の事実は「白」でも、

相手の事実は「黒」と言われるなら

そうなのである。


全ての人は、

相手の切り取られた日常だけ

見えている。


思いもよらない言葉が返ってきた時、

それは衝撃となって

内を揺らし始める。


その揺れは、

自分の中にある数々の否定を巻き込み、

やがて内側に影を落とす。


どこにあるとも分からない何かが、

自分の中で確実に育っていく。


しかし、

それは自分の真実なのか。


相手の事実は「黒」でも、

自分の事実は「白」なら

それが真実である。


相手は変えられない。

相手も自分を変えられない。


切り取られた日常から、

どう創造するかは自分次第である。


絶望が明らかになるということは、

希望もまたゆるぎないものとなる。


絶望と希望の秩序こそが平和を意味し、

人間の尊厳を保つことができる。


絶望も希望も計れない。

そして、

誰も心を測ることはできない。


出来るのは、

選択することである。


希望は見えずとも、

常に我々に寄り添っている。






その空の下の人々に穏やかな時間が訪れますように。


 शान्तिशान्तिशान्ति:



人間は何故、達成を追い求めるのか。

達成のその先にある、

夢と出逢えるからだろうか。


達成の足元に辿り着くまでには、

困難が付きまとう。

苦痛を感じればそこを避けて通れるが、

大概は甘いペルソナをつけている。


ヨーガでは、現世の苦の原因の一つは

「執着」や「依存」だとされる。


それらは、

感情によって引き起こされる副産物。


それらが起きていても、

本人は気が付きにくいもの。


自分の事でありながら、

コントロールすることが難しく、

苦を抜け出すことにも苦が伴う。


もし、現在抜け出したい何かがあるならば、

些細なことから習慣づけ、

その行動を己にすり込むことが望ましい。


「すり込み」

即ち、それと一体であること。

実感を味わえる身体から、

アプローチする事が効果的。


そして、多くの場合、

達成が危うくなると自己懐疑が始まる。

(自分を疑うようになる)


「私には才能がないんだろうか」

「私は間違っていたんだろうか」

「私はこれでよかったんだろうか」


そんな時は、

どうして始めたかを思い出してほしい。


才能とは、

評価から離れているときにのみ実感できる。


その一歩を行動できたという事は、

才能に気がついたということ。


才能は、大きい小さいではない。

あなたにしかできないこと。


達成は、

続けた者にしか見ることのできない景色。


自分を生かすことができるのは、

自分だけなのである。






 लोकासमस्तासुखिनो भवन्तु

oṃ lokāḥ samastāḥ sukhino bhavantu.      


この空の下の人々が活力で満たされますように。




あの白い雲の向こうから

何が見えたんだろう


遠くから見える私は

空から降りる雨粒と同じ


幾億の水のカケラ


命はあの雲のように

いつかこの地球をつつむ



あの白い雲の向こうから

何を見ているんだろう


あなたから見える私は

降り注ぐヒカリを纏う


無限の光の力


命はあの雲のように

いつかこの地球をつつむ



あの白い雲の向こうから

何を与えるんだろう


影を見ている私は

大地の風に守られている


雄大な土の恵み


命はあの雲のように

いつかこの地球をつつむ



流れる雲が

私の涙をさらう


すべての水滴が

いつかこの地球を抱く





今は亡き、大切なあなたへ捧ぐ


 लोकासमस्तासुखिनो भवन्तु

oṃ lokāḥ samastāḥ sukhino bhavantu.