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地方創生のよもやま

地方創生にまつわるいろんな話題を提供します。

岡山が誇る幕末の偉人、山田方谷
借金にあえいでいた板倉藩の財政を立て直し、渋沢栄一にも間接的に影響を与えた人物。

その財政立て直しの取り組みの基本的な考え方をまとめたのがこの「理財論」という小論
全文(現代語訳)が紹介されているサイトがあったのでそこから引用
 

 

(以下引用)
だいたい、天下のことを上手に処理する人というのは、事の外に立っていて、事の内に屈しないものです。ところが、今日の理財の担当者は、ことごとく財の内に屈してしまっています。

というのも、近ごろは、平和な時代が長く続いたために、国内は平穏で、国の上下とも安易な生活に慣れてしまっているのです。ただ財務の窮乏だけが現在の心配事なのです。

そこで、国の上下を問わず、人々の心は、日夜その一事に集中し、その心配事を解決しようとして、そのほかのことをいい加減にして、放ってしまっているのです。

人心が日に日に邪悪になっても正そうとはせず、風俗が軽薄になってきても処置はせず、役人が汚職に手を染め、庶民の生活が日々悪くなっても、引き締めることができない。文教は日に荒廃し、武備(武芸)は日に弛緩しても、これを振興することができない。

そのことを当事者に指摘すると、「財源がないので、そこまで手が及ばない」と応える。
ああ、今述べたいくつかの事項は、国政の根本的な問題だというのに、なおざりにしているのです。そのために、綱紀(規律)は乱れ、政令はすたれ、理財の道もまたゆき詰まってしまいます。にもかかわらず、ただ理財の枝葉に走り、金銭の増減にのみこだわっています。

これは、財の内に屈していることなのです。理財のテクニックに関しては、綿密になったにしても、困窮の度がますますひどくなっていくのは、当然のことなのです。

(引用終わり)

地方創生の取り組みの主戦場は、地域の稼ぐ力を生み出すための取り組み。
だが、稼げるようにするにはお金のことばかり考えていたのではだめで、お金の外に立って地域の根本の課題を解決することが必要というのが教えの内容であり、地域の課題を解決するにはまず稼ぐ力をと言っている昨今の国とは逆のことを言っているのが興味深い。

地方創生の分野で成功例とされるものの多くも、お金周りのことにもきちんと取り組んでいるが、それ以上に、人材の育成、地域内外における地域の担い手づくり、きちんとしたモノづくりの基盤づくり、地域の魅力の向上といったことに正面から取り組んでいるように思われる。
やはりお金周り以外の取り組みをきちんとやるというのが、稼ぐ力をつけるうえでも王道なのだろう。

さいごに
金回りのことばかり考えていると重要なことがないがしろにされるようになって結局は窮乏してしまうというのは、コストがすべてになってしまいがちな公的部門の財政運営でも陥りがちな問題。
自戒したいと思います。

記念館などがある備中高梁にはいつか足を運びたいと思います。

 

 

 

 

最近、この記事のアクセスがものすごく(と言ってもせいぜい1日あたり1桁後半ですが)増えてるのだけれど、なんでだろう?
どこかからリンクでも張られているのかしら?

ふるさと納税800万円→5億円超 三木町副町長 植松恵美子が巻き起こした奇跡 | 地方創生のよもやま

https://ameblo.jp/chiso-concier/entry-12316084172.html



「里山資本主義」の藻谷氏と、A級グルメのまちとして有名な島根県邑南町役場の寺本氏による、コロナ禍の中で感じたこと等についての対談をまとめた1冊。

 

 

A級グルメのまちも、移動に制限がかかったことで、都会から人が来なくなり、危機的状況に。
しかし、町役場をはじめとする町内の人が毎日お弁当を買って支えたり、A級ブランドの看板を生かして、これまで邑南町に来なければ食べられなかったものを通販に出したりして凌いでいるとのこと。

それでも、観光や食といった集客産業は地方で稼ぐうえで不可欠としたうえで、そのあり方については

「集客交流産業のようにボラティリティが大きい世界でどう生き残っていくかというと、普通にお客さんの来ている時期にちゃんと高い単価を取って、非常時に備えた蓄積ができるようにしておかないといけないのです。(P119-120)」

と、集客産業で生きていく以上、稼げるときにきちんと稼いでおくことの重要性を説く。
また、併せてお客が来なくなっても地域の中でお金を回せる仕組みづくりについても説いている。


そして、コロナ禍で明らかになった地方の強みとして

「住民の顔がわかる規模の町のほうが、こうした危機的状況には強いのです。(P131)」
「すぐに必要な人の顔が見えるからこそ、職員の誰もが町の人を助けたいと思っているんです。(P132)」
「邑南町が体現している「小規模の利益」「一人多役」のモデルが、これって「大規模の利益」や「分業徹底」という都会の原理の反対なのですが、いろいろなリスクに強いことがわかります。(P138)」

と、リスクに対する耐性があることを説く。
一方、東京については、コロナ禍で明らかになったリスクに触れたうえで

「たまに遊びに行くだけでは満たされない、毎日住んでいないと味わえない東京の魅力というものは、何かあるのでしょうか(P175)」
「東京に住んで田舎に気晴らしに行くか、田舎に住んで東京に気晴らしに行くか。オンラインで仕事ができる人であればあるほど、後者のほうがいいと思う人は増えるのではないでしょうか。(P176)」
「東京の大組織ほど、村社会的で男尊女卑のまかり通っている集団もないと思う(P206)」
「東京の「いい会社」で働いて50台になってふと気づくと、何か取り立ててスキルも経験もない人間になっている。退職後に残るのは、東京の片隅に家を持つ元〇〇社員というアイデンティティだけ。(P210)」

と、これまで東京を良しとしてきた価値観の大転換を迫る。

さらに

「田舎の老人のほうが、日々貯金がなくなるのにおびえる都会の老人よりも、よほど豊かに、楽に暮らしている。(P192)」
「コロナ禍をきっかけに、さらにその先に待っている問題に気づいて東京脱出を始める人が1%でも出てくれば、その1%は助かります。(中略)動くなら、皆がそれに気づく前の今のうちです(P197)」 
 
と、決断を迫る。

読んだら本気で地方移住を考える人が出てきかねない、ある意味非常に危険な本です。
かく言う私も、定年後のことなんてまじめに考えたことなかったけれど、何やって暮らすんだろう?と考えさせられました。