今更ですが「ラーゲリより愛を込めて」を
みて号泣をしていた
自分が何したいかわからない
迷子アラサー女子の魅力を
みがいて真の美しい女性にする
ちーちゃんこと西脇千里です
休日にAmazonプライムで
「ラーゲリより愛を込めて」がやってて
Mrs.GreenAppleが歌っていたことから
みてみよ〜と思ってみてみたら
涙がだ〜だ〜とまらなくて
なんで泣いてるんだろうと
思いながら泣いていた
涙が出るくらい
いい映画だった
で終わらせることもできるし
感動する素敵な映画だったんだと思うけど
私が心を動かされたのは
何だったのかな
ってことを言葉では
私がうまく表現することができなくて
何が良かったのか何が感動したのか
ちょっとわからないまま泣いてた
ラーゲリより愛を込めてに出てくる
二宮さんが演じている山本さんの
生き様だったり関わった人たちから
きっと感動をしているわけで
さて私は何に感情を
揺さぶられたのかな
って考えてみると
ただ感動したってだけではなくて
心が揺れ動いたことに意味があり
自分の本心が
わかるようになってくる
んですよね
涙が出た
感動した
っていうのは
事実であったとしても
本質的に感じている感情は違う
感動したのは表の私ではなくて
心の深くの私は感動しているんではなく
悲しくなっていたり
嬉しくなっていたり
悔しくなっていたり
今の私と何かが重なって
人の心が動かされることによって
涙が出ているだけなんですよね
なんか・・・
映画を見て感動して泣いた
でいいじゃないか
可愛くないな素直じゃないな
って今更ながら書いていて
自分に思ったりしてますけど
私は自分の本心や
本音がわからないまま
生きている
だから
自分を知るために
感情の理由を考える
ってことをやってたりする
人って言いたいことを
言葉にできている
本心で思っているから
言葉になっているんでしょ
って思ってたりしてないですか?
心で思っていることを
言葉にできている人なんて
ほとんどいない
言葉で言っていることは
あくまでも表面上のことであって
本質ではないんですよね
怒りに任せて
責めるような言葉を
他人に言っている人
それは本心で思っているわけではなく
感情まかせに出た表のことであって
本質的には
さみしい
悲しい
つらい
悔しい
うらやましい
みたいな感情が言葉になったら
他人を責める言葉に変換された
ってだけの話なんですよね
怒りの感情の時は
大体自分に何か
問題があったとき
って感じだから
どんなに八つ当たりされようとも
相手にしないほうがいい
話を聴くだけ聴いて
責められるだけ責められて
あとは受け流したり
受け止めて捨てればいい
涙が出る時も
嬉しかったり
悲しかったり
悔しかったり
何かの心に触れているから
感情として表に出ているのが
涙であるだけなんですよね
人は思っていることを
言葉にできているなんて
大きな勘違い
相手の言葉の背景にある
本質を見抜く
ってことをしないと
小さな言葉のズレから
小さなコミュニケーションのズレになり
小さなズレから大きなズレになっていく
頭がいい人ほど
言葉を言葉の通りに受け止め
コミュニケーション下手な人が多くて
コミュニケーション上手です
って人ほど相手の本質間違えてたり
自分のことを言葉にできなかったり
残念な人が多い
人は思ったことを
素直に言葉にして表現できるとは
限らないんですよ
表に出てきた言葉は
本質的には何か?
っていうことを
自分の場合は自らに問いかけないと
出てこない答えだったりするし
相手が言っている言葉だとしたら
詳しく聴くために問いかけないと
本人も本心で何を言っているのか
わからなかったりするんだよね
私がラーゲリより愛を込めてをみて
涙をしたのは
山本が誰よりも強く
どんなにも苦しくても
前を向いているのを見て
今やっている仕事のことを
自分と重ねてみていた時に
何かしら共通するものを感じて
心揺さぶられたんだろうな〜
なんて感じながら
ハッピーエンドではないのかもしれないけど
なんとなくハッピーエンドに見えて
自分の何かに共感しつつ
感動したのも確かだからこそ
複数の感情のある涙だったのかな
なんて思っていた私でした