ひとつ前の記事に

思いの外反応があったので

何度か再掲している

2019年7月の記事を再掲


響く人がいると思う。


⭐︎


最近は、自分自身の感覚を取り戻すことに夢中です。


3歳の時から片親で育ったから

私が育った時代には、離婚している家庭は珍しくて

いろいろと悩むこともありました。


お金はいつも無いものだと思っていたし、

高2の時に

唯一の親である母が

末期がんで余命宣告されて、

その頃の記憶はほとんどないし

そんな若い時に親が死ぬと宣告される同志も見つけられなくて

どうしていいかわからなくて、

悩んで、悩んで、悩んで

でも答えは出なくて


親に心配をかけてはいけない

という想いが染み付いた人生。


父の記憶は、

私が2歳の頃、

母に手を上げている父から母を守ろうと

私が母の前に(父と母の間に)居て

母を暴力から守ろうとしていた自分の姿。

それだけ。


父の悪口を一言も言わない母に

尊敬の念を抱きつつ

母のように強くはない自分へのジレンマもあった思春期。


自分自身がどうしても許せなかった

離婚

を経験して、

死ぬか生きるかの狭間で

スピリチュアルにも興味を持つようになった。


初めての職場が病院だった事もあり、

科学的根拠がないものは信じられない時期も長かった。


専門職だから、

必死に勉強して

病気と栄養の知識も学びながら

患者様への指導も

若い時からさせていただき

経験を積むことができた。


でも、いつも他人の目を気にして

母に迷惑をかけないように

ヒトに迷惑をかけないように

自分なりに努力してきた。


結果、

本当の自分の感覚を見失った。


自分が何をしたら嬉しいのか、楽しいのか

よりも

身近にいる他人に

いかに迷惑をかけないか

どうしたら良く思われるか?


いつからか

自分は置き去りで

他人の目線ばかりを気にして生きてきた


その拘束を外すために

お酒を飲んで

つかの間 楽しい気分になった。


そんな時間を長く過ごして

ここ数年

おかしい事に気付いた


自分はどこに行ったの?


他人とか子供とか…

私の人生なのに

いつも他人の目線を気にする自分がいた

そして、他人の目線の中の

“良い人”

を演じる自分。


“良い栄養士”

になろうとする自分。


私が好きな自分はどこに行ったの?

私が生きている「今」は誰のもの?


二太郎氏を身籠ってからの数年

私はここを追い求めている。


で、

昨日。

移動の合間に

オレンジジュースが飲みたくなった。


ジュースのような甘いものは、

通常飲まない

甘いものが好きではないのだ。

でも、昨日は無性に飲みたくなった自分に気づいた。

栄養士的アタマで考えれば、

特に必要ない糖分で

今飲まなくても良かった

でも、

飲みたい!

と思った自分の感覚に正直になって

自分が飲みたいオレンジジュースを探した。

自動販売機もスーパーの中の品揃えも見たけど

私が飲みたかったのは

つぶつぶオレンジ

だった。


念願の

つぶつぶオレンジ

を見つけて

習慣的に

成分表示を見た

自分の知識としては、飲みたくないものがたくさん入っていた。

心の葛藤

アタマの思考は置いておいて、

感情に従って

つぶつぶオレンジを飲もうと決断した。


そんな大したことない出来事。


でも、私はいつも人の目を気にして

自分の知識を自分の欲望よりも上に置いて

判断を下すことが多かった。


ここ数年は良くなってきたと思っていたけど


昨日、つぶつぶオレンジを飲んで

私は泣いた。


一口飲んで、

勝手に溢れ出る涙に自分で驚いた。


私は、今まで

なんて

自分の気持ちを

おざなりにしてきたんだろう。


飲みたいものを

飲みたい時に

飲む

ということすら

まともにできていなかった。


頭で考えて

自分の知識と

他人の目と

いろいろなものを

自分の感覚よりも上に置いて

自分を殺してきたんだ。


私みたいな人

いるんじゃないかな?


自分の感覚を大切に生きて良いんだよ

生きようよ!


と切実に思った昨日。


添加物がなんだ!

そんなもの、

排泄できる体を作れば良いじゃないか!


そこに頭を使おうと思う今日。


そんな事を実現できる人が増えるなにかを

提供していきます。