コレの続きです。
朝から暗い話題をごり押し(笑)
今日は、もうひと記事くらい書く予定です。
☆☆☆☆☆
詳しくは覚えていないけれど
毎日死ぬことばかり考えていた。
どうやったら
誰にも迷惑をかけないで死ねるのだろう?
誰にも迷惑をかけないなんて無理だから、
どうしたら迷惑を最小限に抑えられるだろう?
という事を考える時間がとても長かったと思う。
当時はスマホも無くて
インターネットで調べるっていうのも
なかなかできなくて
自分で考えるだけだったのが救いだ。
今みたいに簡単に調べるツールがあれば、
今
私は生きていないかもしれない。
自分で首を絞めて
顔の下半分がうっ血した事も
一度ではなかった。
あの時も、母は何も言わなかった。
たぶん。
(あまり覚えてないからたぶん。)
ただ、普通に一緒に生活をしてくれた。
私が母だったら、
きっと
「どうしたの?」
「何があったの?」
「大丈夫?」
などなど
声をかけずにはいられなかったと思う。
母は、私が話すのを待ち
話したら話したで
自分の意見を言うでもなく
ただ聞いてくれていたと思う。
ありがたい。
休みに入ってから2週間、経つか経たないかの時
ふと
本当にふと何の根拠もなく
子どもが産めるかもしれない
と思えた。
何のきっかけも特になく。
ふと。
今 考えても理由はわからない。
でも、そう思えた。
思えたから
彼とやり直せると思った。
やり直したいと。
でも、
その事を母に話したら
「彼とやり直すのも良い
子どもを産むのも良いと思うけど
彼との子どもは産まないで」
と言われた
「精神的な疾患は、きっと遺伝するから」
と。
小さい頃から
「勉強しろ」
とも
「あれやれ」
「これやれ」
とも
一言も言わなかった母。
結婚する時も
「あなたが決めて良いのよ」
と
自分の意見を押し付ける事が無かった母。
その母が、
初めて自分の意見を言った。
この言葉は、私には
重かった。
多分、私の弱さを懸念したのだろう
この時でさえ
彼と同じように
鬱状態になっていた私。
もし復縁して、
彼がまた精神的に不安定になったら
私も必ず同じように不安定になる。
それで、子供までいたら
…誰が子供の命を救えるのだろうか。
自分の命さえ危ういのに
子どもも迷惑だ。
それこそ、こんなに弱い親から生まれたら
その後、一時期 彼と復縁しかかったけど
彼の結婚に関する軽い考え方が許せなくなった。
「一度離婚して、
また結婚すればいいじゃん。」
「もう離婚届出したよ。」
それも、義母が。
…
自分で行けやー。
一生忘れないように、
自分の誕生日に離婚届を出したんだって。
義母が(笑)
どんだけマザコンやねん。
そして、私の大親友の言葉も
今でもずっと覚えている。
不安定になるといつも電話してた。
その大親友が、
「もう千咲が死んでしまうから
お願いだから離婚して」
と言った。
「もう充分すがったよ。
もうやるだけの事はやったよ。
千咲がいなくなったら
私が辛いから
もう離婚して。」
と言ってくれた。
そうだなー。
私は既に充分に愛されていた。