てな訳で…
ノーベル平和賞を狙える大発見である「幸せ平等説」ですが
バラにもトゲがあるように…この素晴らしい考えにも弊害、デメリットが出てくるのではないか…
そこで、「幸せ平等説の弊害についての考察」です
はい、
まず
①どんなに人としてヒドイ事をしようと、どんな罪を犯そうと幸せは同じ…じゃ、みんな悪い事やり放題じゃん!
今まで、「バチが当たる」とか「因果応報」とか、または「罪と罰のバリューセット」があるから人は悪い事はしなかったんじゃないのかい?
そして
②どんなに努力しても、幸せが一緒なんて、ちっとも報われないなら、みんな経済的な価値を生み出そうとしなくなって資本主義どころじゃなくなるよねー
ってゆー弊害が生まれそうですよね、うんうん。
でもね!
人ってご褒美がなくったって人に優しくするんだよ
罰がなくったって、人が悲しむのは嫌だから悪い事はしないんだよ
はい!私ずーーーっと性善説です。
人の根本は『善』です
どーせ悪い事すんだろ
うん、大丈夫だよ
そして、②についても
人は好きな事、夢中になれる物がみんな色々あるからご褒美なくても、発明、発展、改良とかをするんじゃないかな
だから、大丈夫!
あなたはもう充分な幸せを持ってるし、減らないし、あの人もこの人もみーーんなちゃんと300ml(例えよ)の幸せなんだって
私ね、悲しい事があってずっと素直に幸せを願えない人がいました。
でもね、その人もずっと幸せなんだ…私が持ってるのと同じだけ幸せなんだ…
って思ってたら、どーでもよくなった
私、念力でその人が不幸になるんじゃないか…と思ってたみたい
ロンダ・バーンの『The Power』に書いてあった
「怒りを抱くということは、誰かにそれを投げるつもりで熱い石炭を持っているのと同じことです。やけどをするのはあなたです」ゴーダマ・仏陀
みたく、傷ついてたの私だけだったみたい
ワオ
てな訳で、次回のノーベル平和賞は私が頂きます