直腸の手術後に待っているもの
人工肛門をつけている人の大変さは誰でも想像できると思います。残念ながら、直腸の病気の性質によっては人工肛門が避けられないのは事実です。直腸は肛門から近いので、とても微妙な場所なのです。万が一、人工肛門をまぬがれたとしても、直腸の手術を受けるとさまざまな機能障害が発生することがあります。頻便、性機能障害、排尿障害などです。どれをとってもやっかいな合併症です。
さて、人工肛門やこのような機能障害を避けられる方法があるとしたらどうでしょう?直腸の手術が必要といわれた患者さんにとって、これほどの朗報はないでしょう。
ドイツの外科医ゲルハルト・ブエス教授は、直腸手術の合併症を避けるために、とてもユニークな手術方法を思いつきました。その結果開発されたのが、経肛門的内視鏡下マイクロサージェリーという手術方法です。この手術は、私たち内視鏡外科医の間ではTEMと略されています。正確な手術名は長いので、ここではTEMと表記します。
究極の内視鏡
TEMでは、普通の内視鏡ではなく、立体顕微鏡のように両方の目でのぞき込む特殊な内視鏡を使います。これはドイツのリヒャルト・ヴォルフ社が、マイスターの威信にかけて作り上げたものです。この内視鏡のおかげで、直腸の中のすみずみまで、信じられないくらいの精緻さで観察できます。極細の血管や筋肉の腺維束の走行までが立体視できるのです。
この肉眼以上に正確に観察できる能力によって、TEMの安全性が保持されます。あらかじめ細い血管を認識して止血することも、筋肉の深いところに切り込んで直腸に孔があくという合併症を防ぐこともできるのです。また、直腸がんと正常な部分の境をはっきり見極めるのにも役立ちます。私たちは、数えきれないくらいの内視鏡を見てきましたが、いまだにTEMを凌駕する品質のものを見たことはありません。
TEMは機能障害を生じさせない手術
TEMではおなかも斬らず、直腸周囲の神経も切らないので、機能障害は発生しません。おなかを切って直腸を切除する手術方法は、外科医の間では「低位前方切除術」と呼ばれています。低位前方切除では、先に述べた機能障害の可能性が問題になりますが、これは直腸周囲の神経が手術によって切れてしまうことが原因です。これに対してTEMでは、肛門から直径4cmのチューブを直腸に入れ、その中に通した細い器具を使って手術しますので、直腸のまわりの神経にはいっさい影響を与えません。もちろんおなかは1mmも切りません。
TEMが適応とされるケース
TEMで切り取れる病気は、直腸の腫瘍で粘膜内にとどまっているものです。粘膜とは腸の最も浅い層です。腫瘍のサイズは大きくてもかまいません。むしろサイズが大きいものにこそTEMの本領が発揮されるのです。
直腸の粘膜内だけに発生する病気の代表的なものに、腺腫があります。これはがんではないのですが、放っておくと、しばしばカーペットのように横に広がって大きくなります。切り取って顕微鏡で調べると、ときどきがんが混じって見つかりますから、気をつけなければならない病気です。
最近では大腸カメラのエキスパートの中に、大きな腺腫を大腸カメラで切り取ってしまう医師も現れました。しかし多くの内視鏡外科医の間では、大腸カメラで確実に取れるのは2cmまでとされています。2cmより大きくなるとばらばらに切り取られて診断がつかなかったり、腫瘍を取り残したりする格率が高くなるからです。
ときどき、大腸カメラでばらばらに切り取られたところに腫瘍が再発したために、当院のところにTEMを受けにくる患者さんがいます。このような場合、最初の治療の影響で直腸が硬くなっていて、TEMが難しくなることが多いのです。できれば最初からTEMで切りたい、というのが本音です。
さて、腫瘍は良性ですが、直腸がんでも粘膜内にとどまっていれば、やはりTEMによる治療ができます。ここで気をつけなければならないのは、直腸がんが粘膜にとどまっていることを、手術前に確実に診断しなければならないことです。そのために、超音波内視鏡という検査が行われます。直腸に水をため、大腸カメラから超音波の検査器具を挿入して行います。
最近ではこの検査の精度が上がってきて、診断能力がぐんとアップしました。しかしそれでも万能とまではいきませんので、TEMを行った後に、予想以上にがんが深くもぐっていたことが明らかになるケースもあります。この場合は、残念ながら追加の手術が必要になります。追加の手術とは、前述した低位前方切除や、人工肛門になるような手術です。TEMの後、5-10%程度にこのような再手術の必要性が生じます。
腺腫や直腸がんで粘膜内にとどまっているもの以外にも、TEMで切り取るのにふさわしい病気があります。直腸カルチノイドという病気です。別名「がんもどき」と呼ばれるこの腫瘍は、表面を正常な粘膜に覆われている、黄色っぽい腫瘍です。悪性ではありますが、ほとんどがおとなしい腫瘍です。大きさも1cm内外で見つかるものが多く、TEMはそれほど難しくなく行えます。
「しばらく様子を見ましょう」といわれる場合もあるようですが、私たちは見つかったらなるべく早く切り取るべきだと考えています。
大腸カメラによる治療と決定的に異なる点
TEMでは直径4cmのチューブの中に専用の器具を3本入れて手術を行います。肛門の中に入れるので直径4cmが限界です。この細いスペースの中に入れた器具を操作するのは、それほど簡単ではありません。
そのため、すべての器具には計算された弯曲が施されており、それらを操るために、医師の両腕はボクサーのように前後運動と回転運動を要求されます。TEMを上手に行う外科医の様子を観察すると、まさにボクシングをやっているように見えます。
TEMではこのように特殊な器具を操作して、肛門経由で直腸内の腫瘍をひとかたまりでくり抜きます。平べったく大きな腫瘍の場合は、「はぎ取る」といった表現になるかもしれません。また、TEMでは腫瘍を切り取ったあとにできたくぼみを縫って閉じることができます。これは、大腸カメラによる治療とは決定的に異なる点です。
15cmの腫瘍を切除した症例
私はこれまでに250人にTEMを行いました。最も大きかった腫瘍は15cmです。このケースでは直腸の粘膜を360度全周にわたって切り抜きました。もちろん腫瘍をばらばらにすることなく、一括で切り取ることに成功しました。
15cmの腫瘍を切り取った患者さんは、かなり遠方にお住まいの60歳代の男性ですが、5年たった今も元気でいると、毎年、年賀はがきを送ってくださいます。初めは地元の病院で人工肛門になる手術を受ける予定でしたが、インターネットでTEMのことを知り、当院を訪ねてきてくださったのです。
ちなみに術前診断は、良性の絨毛状腺腫でしたが、手術の結果、粘膜内にとどまっているがんが見つかりました。しかし、がんが粘膜のみに限られていたので、完全治癒切除とみなして追加切除を行わなかったのです。このようなケースでは、腫瘍さえきっちり切除して取り残しがなければ、5年生存率はほぼ100%といえると思います。
これを普及させるためには、まず外科医の技術力を向上しないといけません。TEMを導入し、順調に軌道に乗った病院もあります。なお、TEMの入院日数は5-7日で、手術代を含めた入院費は80万円程度(自己負担25万円程度)です。
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