消化器系の内視鏡手術 | 扶氏医戒之略 chirurgo mizutani

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身近で関心は高いのに複雑・難解と思われがちな日本の医療、ここでは、医療制度・外科的治療などを含め、わかりやすく解説するブログです。

B 早期胃がん
王貞治氏が胃がんの内視鏡手術を受け、早期に復帰したニュースは日本中をかけめぐりました。王監督が復帰して活躍する姿を見て、多くの人が内視鏡手術のすばらしさを目の当たりにしたのと同時に、胃がんも内視鏡手術で治せる時代の到来を知ったことと思います。
そのころ私たちの病棟でも、こんなことがありました。あるナースがいいました。
「先生、〇号室の〇〇さんね、部屋で音楽鳴らしてダンスを踊っているんですよ」
病室を訪れて驚きました。5日前に胃がんの内視鏡手術を行った女性(40歳代)の部屋にダンス音楽が鳴り響いているのです。彼女は笑顔で応えました。
「すみません。まだだめだったのでしょうか。少し退屈していたのでスクールで習っているダンスの復習をしていたんですよ」
おなかを大きく切る従来の胃がん手術では考えられない回復の早さに、本人はもとより手術を行った私たちも驚きました。この女性はそれから1週間後に、さらに軽快な足取りで退院されました。

混同されがちな手術方法
胃がんに対する内視鏡手術といっても、さまざまな方法があります。王監督が受けた手術やダンススクールの生徒さんが受けた手術は、胃を3分の2以上切除し、胃周囲のリンパ節も取る標準的な方法です。胃を切った後は、食道、残った胃、十二指腸をつなぎ合わせます。これらの手術は現在行われている内視鏡手術の中ではかなり難易度の高い部類に入ります。正確には腹腔鏡補助下幽門切除術(LADG)または腹腔鏡補助下胃全摘出術(LATG)と呼ばれます。
ときどき治療を受けている方からこんな話を聞きます。
「私の知人も胃がんの内視鏡手術を受けたのですが、胃カメラの部屋で手術を受け、入院はその日1泊だけだったというのです。私もその方法で治してもらえますか?」
先に述べたLADGやLATGはいずれも外科が担当する内視鏡手術です。しかしこの方の知人が受けた治療法は、消化器内科の領域に属するものです。
これは内視鏡的切除と呼ばれるもので口から入れる胃内視鏡(いわゆる胃カメラ)を通して、胃の内側からがんに侵された粘膜だけをはぎ取る方法です。内視鏡手術といえなくもありませんが、外科的な内視鏡手術では、胃の外側からもっと広い範囲にわたって胃を切り取ります。このように両者はしばしば誤解されるので、気をつけなければなりません。これらを区別するために、われわれは、内視鏡手術(外科で行う)と内視鏡手術(内科で行う)という表現を用いています。
従来の開腹手術を含めると、ひと口に胃がん手術といっても何種類もの方法があるのです。実際に胃がんが見つかった患者さんは、これらの選択肢から自分に最もふさわしい方法を選ぶことになりますが、そのためにはさらに理解しておかなければならないことがあります。

五線譜で胃がんの治療法を理解する
どの治療法を選択するかは胃がんの進行度数にかかわっています。患者さんには胃がんの進行度を理解していただく際、私はよく五線譜を書いて説明します。5本並んだ横線それぞれの間に4つの層ができます。一番上の層は胃の粘膜で、二番目は粘膜下層、三番目は筋層、一番下の層は奬膜下層と呼びます。
--┃a--┃b--┃c--┃d--┃e--粘膜層
---------┃b--┃c--┃d--┃e--粘膜下層
----------------┃c--┃d--┃e--筋層
----------------------┃d--┃e--奬膜下層
-----------------------------┃e--
←早期→←進行→

あなたの胃がんが一番上の層に閉じこもっている場合(図のa)は、胃がんがその時期に見つかったことに感謝すべきです。このようなごく早期の胃がんを粘膜がんといいます。多くの場合、このような胃がんには内視鏡的切除が選択されます。つまり外科に紹介されることなく、胃カメラをのんで治療できるのです。
二番目の層(粘膜下層)にがんの根が伸びている場合(図のb)でも、早期胃がんと呼ばれています。しかしこの場合、胃周囲のリンパ節にがん細胞が転移している確率が10-20%と報告されているので、粘膜がんのように内側からはぎ取る治療法では不十分と考えられます。この場合は、胃を3分の2以上切り取り、周囲のリンパ節も一緒に切除する手術が必要となります。
実は内視鏡手術(LADGやLATG)が最もふさわしいのは、この粘膜下層に根を伸ばした胃がんなのです。冒頭に紹介したダンススクールの生徒さんも、粘膜下層に根を伸ばした胃がんでした。私たちは幽門側胃切除と同時に胃の周辺リンパ節を切除しましたが、病理検査の結果、リンパ節転移は見つかりませんでした。このような場合の予後は大変よく、5年生存率は90%を超えています。
三番目や四番目の層にまで根を伸ばした胃がん(図のc,d,e)は、進行がんと呼ばれ、今のところ一部の施設を除いて内視鏡手術は行われていません。なぜならは、進行がんでは胃周囲のリンパ節に転移する確率がさらに高くなるだけでなく、転移するリンパ節の範囲も広くなるからです。このため、広範囲にわたって徹底的にリンパ節を切除しなければならず、これは現在の内視鏡下手術の技術で安定して行うのは難しいと考えられています。

「補助下」の意味
粘膜下層に根を伸ばした早期胃がんが、内視鏡下手術の最もふさわしい対象となると述べました。このような胃がんに対して行われる術式の正式名称が、腹腔鏡補助下幽門側切除術、または、腹腔鏡補助下胃全摘出術です。この長い名称に含まれている「補助下」という言葉は省略してもかまわないのですが、その意味を知れば、この手術をさらに詳しく理解できるでしょう。
通常、内視鏡手術ではおなかに0.5-2cm程度の孔をあけ、そこから細い手術器具や内視鏡を入れて手術を行います。しかし、切り取った胃をそんに小さな孔から体外に取り出すのは不可能です。そこで、LADGやLATGでは、おなかを4-7cm切って胃を取り出したり、残った胃と腸をつなぎ合わせたりします。これは小さいとはいえ、れっきとした開腹です。そのため、小切開創とも呼ばれます。これが「補助下」の意味です。
私たちがLADG(胃の下側3分の2切除)を行った患者さんの小切開創はこの場合、みぞおち付近の5cmのきずです。この患者さんの場合は、残った胃と十二指腸を直接つなぎ合わせました(ビルロートⅠ型という方法です)、
もうひとりの患者さんは同じくLADGを行いましたが、へその上の小開腹創はわずか3.5cmです。この患者さんには、あとで述べるルー・ワイ法と呼ばれる方法で、残った胃と小腸をつなぎました。

残った胃に関する疑問
LADGを受けた患者さんから、「私の胃はどのくらい残っているのですか?」「残った胃はだんだん伸びて大きくなるのですか?」「手術後は、食べたものは胃からどのように流れていくのですか?」というような質問をよく受けるので説明しておきましょう。
まず、胃がどのくらい残るかは、病変の部位によります。胃がんの手術は、ほとんどの場合、病変部から胃の出口までを一括して取ります。したがって、病変部が胃の下のほうにあれば残る胃は大きくなります。逆に病変部が胃の上部にある場合は、残る胃は小さくなります。胃の入口付近、つまり食道と胃のつなぎ目付近に病変がある場合は、胃を全部取るか、逆に下半分を残して上半分を切り取ることになります。術後の食生活に関しては、残った胃が小さいほど術前との差は大きくなるので、工夫が必要です。しかし、いたずらに大きく胃を残しすぎると、食物が胃の中で停留して非常に不快な症状を伴ったり、体重が減少したりする場合があので、要注意です。
次に、残った胃が伸びてもとに戻るかについてですが、残念ながら答えはノーです。残った胃がトカゲのしっぽのようにまた伸びてほしいと願う気持ちに反して、事実はそうではないのです。術後早期には、小さくなった胃に慣れなかったり、つないだ部分が狭かったりするために、1回の食事量は少なくなることが多いものです。しかし、やがて時間が経過するにつれて食生活がだんだん改善されてくるので、胃が大きくなったように錯覚する人が多いのです。
最後に、食べ物が残った胃をどのように通過するかを説明しましょう。残った胃につなぎ合わせる腸は、十二指腸です。十二指腸につなぐ方法を、ビルロートⅠ法、または単にB-1と呼んでいます。これは最も単純な方法です。もともと胃は十二指腸につながっているので、自然の流れをそのまま復活させることになります。多くの施設はB-1を採用しています。
次にポピュラーなのが、ルー・ワイ法です。これは、残った胃と空腸(小腸の前半分)をつなぐ方法です。ルー・ワイ法をうまく説明するのはちょっと難しいのですが、十二指腸からもっと下流の空腸を切り離し、下のほうの切り口を残った胃につなぎ合わせます。この空腸のさらに下流の部分に、さっき切り離したもう一方の空腸の切り口をつなぎ合わせるのです。このとき、十二指腸の切り口は閉じてしまいます。B-1では、縫い合わせる部分は1ヵ所ですが、ルー・ワイ法では3ヵ所になります。つまり、残った胃と空腸、空腸と空腸、そして十二指腸の断端です。ルー・ワイ法では、食べたものは胃から空腸に流れ込み、十二指腸の中を流れる消化液(膵臓や肝臓から分泌されます)と空腸の途中ではアルファベットのYで、2つの流れが合流する様子をYという文字で表したわけです。

普及はまだまだこれから
LADG、LATGのようや内視鏡手術は、現在のところ一部の病院で行われているにすぎません。今後、これからどのように普及していくかは想像しにくいことです。
ただし、われわれ医療サイドの予想より早く、患者さん側からの希望が高まってくる可能性はあります。王監督のニュースのほか、インターネットの情報、週刊誌の特集などで内視鏡手術が取り上げられる機会が多くなっているからです。身近に内視鏡手術を受けた人がいれは、その影響で内視鏡手術を希望する人が増えることでしょう。
しかし、このような世の中のニーズを応ずるために多くの病院があわてて内視鏡手術の準備をして実施することは、危険を伴うのではないかと危惧しています。
患者さんとしては、この胃がん手術のように過渡期にある手術を受けたいと思ったら、情報を十分に吟味して病院・医師を選ぶ必要があります。
一方、医療サイドについて考えると、このような手術を導入する際には経験豊富な指導者のもとでしっかり手技を習得し、トレーニングコースにも積極的に参加するなどの努力をするべきです。
内視鏡手術を受けた患者さんの術後経過を蓄積・解析してさらに安全性を確認していくことで、胃がんの内視鏡手術が健全に普及していくことを期待しています。

保険の適用について
腹腔鏡補助下幽門側胃切除術(LADG)も腹腔鏡補助下胃全摘術(LATG)も健康保険が適用されます。
LADGの保険点数は5万1000点です。保険点数は1点を10円で換算し、その3割が個人負担になります。
入院費の合計は100万円程度(自己負担35万円程度)です。LATGの保険点数は、6万9100点で、入院費の合計は、140万円程度(自己負担50万円程度)です。
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