ドイツ文学の特徴 | 扶氏医戒之略 chirurgo mizutani

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以上に述べたような事柄を考えれば、ドイツ文学の共通の特徴をひとまとめにして言おうとすることが、ほとんど無謀に近い企てであることはわこるだろう。だが、それにも関わらず、例えばドイツ文学、例えばフランス文学、例えばイギリス文学のいろいろな作品を思い浮かべてみれば、そこにはおぼろげながらもそれぞれの特徴が、自ずと感じられてくることも否めない。
ではドイツ文学の作品に共通した性格はなにか-。極端に走ることを承知の上で、あえてそれを自分なりに言い切ってしまえば、自然と親和することへの憧れと、絶対的なもの、超越したものへの視線が、ともどもにからみあって、ドイツ文学を特徴付けていると私には思える。
ドイツ文学に現れる人間たちは、総じて、自然の中に孤独に立っている。たとえ家族の中、社会の中に生きていても、彼らの魂は裸のまま自然に晒され、自然の中へ親しく抱き取られることを幻想する。そして彼らの視線は、絶対者(=神)による救済を求めて、宙をさまよう。ドイツ文学に現れる社会は、多くはもっと本質的なものを背後に隠した仮の宿、一時の幻であり、登場人物たちの視線はいつも社会生活の背後に何か絶対的なるものを求めつづける。
フランス文学に現れる社会は、生身の人間たち、その欲望と利害と理性が形作る、人工物としての社会である。イギリス文学が描く社会は、さまざまな経歴と複雑な他人との人間関係を持つ複数の人間たちが絡み合って作る、具体的で歴史的な存在物である。
それに対しドイツ文学における社会は、みなどこか抽象的であり、実在感が希薄であり、それでいながら人間を厳しく縛る。ドイツ文学における社会は、複数の人間が自分たちの意志と自由で作っている人間関係の総和であるより、人間の力では及ばない何みまみのかであって、それはその中に生きる孤独な人間の一人一人に、避けることができないものとして、ほとんど必要悪として、与えられていると、私には見える。
社会がドイツ文学にとってそういうものであること-それはドイツ文学の欠点であり、同時に美質である。そこで生きている人間たちは、この社会の中で、つまり現世の範囲で、自分の生が完結するとは思っていない。結局のところ、彼らにとって社会はそれほど重要ではない。彼らの眼差しは、現世の社会を越えて、絶対的なものを求め、超越的な世界の中をさまよっている。彼らが求める社会正義も、現世社会の中の相対的正義にとどまらず、絶対的正義、それぞれが心に神の義の地上における実現なのである。
ドイツ文学の中で、社会の姿がいちばん実感をこめて描き出されたのは、おそらく19世紀後半のヴィーンを中心としたオーストリア文学においてである。しかし、そこでさえ、人々は魂の救済へと眼差しを向けている。
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