これは私のやらかし、なんだけど真顔


あー、やらかしたんだな、と気づいたことなんだけど。




今はいないけど、私には何人もの先生的な人がいた。

いわゆるメンター?っていうの?



その時々の成長段階にふさわしい人が、すごいタイミングで現れた。

現れては縁が無くなっていった。



その中でこういうタイプの人たちがいた。


「私よりスゴイ人」。

霊的成長のレベルが私よりも進んでいて、学ぶことが多い……と思って親しくなる。


そして1、2年たったころ、「あれ?ひらめき」となる。

長くなるので詳しく書くことはできないが、要するに、いつのまにか追い抜いてしまうのである。

学ぶことが無くなるというの?

私の方がいろいろ気づきが多くなる。


そうなると自然とご縁が遠のきフェードアウトになる。



その中に、私がやたらと「持ち上げてしまった」人がいる。


「〇〇先生ってすごい!」

と、実はそうでもなかったのに、とにかく饒舌(当時はおだてているつもりはなかったけど)に高々と評価した。


今その方とご縁が遠くなってきている。

その過程にいる今、

私はずいぶんその方を高く評価してしまったんだな、と分かる。

当時は自分のことをとても低く評価していたので、その方の活躍を華々しく感じていたのだ。


しかし、今は…?

非常に小さく感じている。

「あれ?こんなに萎縮した方だったっけ?」と。


その方は、私がバリバリ高評価した言葉をいまだに大事に抱えていて、「私はかなり進化している存在だ」と思い込んでいる(実はその優越感で霊的成長は停滞しているのである不安)。


去年からその心が透けて見えてきた。

そうなると私は一緒にいられなくなった。

波動が合わなくなってきた。

「なぜ自分を見ようとしないのか?」と残念になってきた。


(そのエゴから抜け出すかどうかは、ご本人の問題なので、私は私の「やらかし」を修正するだけです。)



で。

「人を見下さないように」とよくよく注意するじゃないですか。上から目線にならないように、傲慢にならないように、って。


でも、逆もあるんだな、と思ったんですあんぐり


「人を持ち上げない」というのもとても大事なんですね。


「人を下に見るのはよくない」とみんな言うけれど、「上に見る」のも立派なジャッジなのだねニコニコ


よくわかっていないのに、相手の立場が上だと見抜いてお世辞を言ったり、いいと思っていないのに「いいですね!」とおだてたり。

全部、3次元で染みついたただの行動パターンなんだよね。



今の私は、誰かを持ち上げることはしない。

わからなかったら「よくわからない」、いいと思えなくても相手を尊重して何も言わない(これはちょっと誤解を招きそうですが)。


誰かをわざわざ持ち上げるのはよくないことだと体験したからさ〜看板持ち