20220726
人はどうしても「見えるもの」「現象」に目を奪われやすい。
「見たいもの」しか見ようとしない。
目に見えるものはとても分かりやすいし、理解しやすい。だからこそ、それに日々振り回されやすくなる。
でも、何かがきっかけで、「目に見えない世界」「精神世界」があると知る。
その「目に見えない世界」にはよく見ると、二つの世界がある。
「ほんもの」と「まやかし」だ。
目に見えない話だから、何が「ほんもの」で何が「まやかし」なのか、本当に判断しにくい。
それを語る人の「容姿」「見た目」とか、「戦略」「話術」にも引っかかりやすい。
盲目的に生きている人は、そこにますます振り回されることになる。
たとえそれが、客観的にみて怪しい内容の話だとしても、
華やかな経歴や容姿の人、成功体験を語る人、夢を見せてくれる人、優しく慰めてくれる人…
そんな見た目や現象に、簡単にひっかかってしまう。
だからこそ、その段階に入ったら、本当に大事になることは「何が本質なのか」ということに「気づく」ことなのだ。
「気づき」が、おそろしく重要になる。
では、「ほんもの」の方向にきちんとシフトし、覚醒するにはどうすればよいのか。
そこで必要になるのが、「想像力」と「明晰性」なのだ。
「ほんもの」か「まやかし」か、判断するためには、「果たしてそうだろうか?」と、その裏側に隠された本質を見抜く力が必要になる。
そこで何が頼りになるのかというと、結局は「自分の感覚」なのだ。
でも、スピリチュアル好きな方は、「私は自分の感覚を信じる」とよく口にする。
たしかにそれは真理なのだが、実際には、意識レベルがかなり高くなってからできるようになる話なのだ。
だから、ある意識レベルに達するまでは、盲目になっていないか、盲信していないか、常に注意が必要だ。
盲目な人、盲信する人にならないためには、日頃、自分自身を多方向からよく観察し、チェックする習慣が必要だ。
目に見えない世界を観察しつつ、「自分の感覚」を磨き続ける。
スピリチュアルが絡んだ、目に見えない話に振り回されないためにも、
真に覚醒するためにも、
「ほんもの」に気づくことは大切だ。