インターホン越しに「何か恵んでください(Regáleme algo, por favor.)」と言ってくる人は、相変わらず多い。ここ数ヶ月で増えたような気がする。

 

夫は、いつぞや善意をひどく踏みにじられてからこの手の話には乗らなくなっている。

 

そんな夫が、一昨日来た物乞いさんには対応していた。インターホン(interfón)での話が済んだらタンクトップを一枚手にして玄関を出て行ったので、珍しいなぁと眺めていた。だが、戻ってくるとすぐまた二階へ戻って、又もやクローゼットをかき回しているような気配がする。どうしたんだろう。そして何かを持ってまた玄関を出て行った。

 

寄付で傷ついた夫が二度も、つまり二つも何かを寄付するなんて一体どういう風の吹き回しか。その物乞いさんは、よほど迫真の演技で夫の心を動かしでもしたのか。

 

だが話を聞いてみると、そんな軽口は叩けなくなった。ガタイのいい若者だったそうだが、着ている物がすごかったらしい。いくら物乞いでも乞食(mendigo)でも、こんなにひどい身なりの人は見たことない、というほどひどかったそうだ。服がボロボロの穴あきだらけなのもそうだが、履いている靴の爪先が両足ともパッカリと開いていて(破れていて)、十本の指が付け根から全部見えていたとのこと。よくこんな靴で歩けるな、と感心するほどだったという。余りのひどさに夫は、何か履く物(calzado)をあげなければいけないと思って今度は履き古した靴(といっても当然どこも破れてなどいない)を取って来て、差し出したそうだ。

 

その物乞いさんのガタイの良さに、何か力仕事でもやってもらって賃金を払おうかとも思ったそうだが、あいにく頼みたい仕事がなかった。庭の芝刈り(cortar el pasto)はちょうど前日にやったばかりだったし、庭木の剪定(podar los árboles)も家の修繕(mantenimiento de la casa)や大工仕事(carpintería)も今は必要ないし。タイミングが合わなかった。

 

私は直接見ていないから何ともないが、見てしまった夫は相当なショックを受けていた。

 

そして、今度は私がショックを受ける番が回ってきた。

 

今日の人は「何か余っている果物はないか」と聞いてきた。それを聞いた夫は、林檎を3個とツナ缶を一つ手に持って玄関に近づいて来た。そのとき玄関脇にいた私は夫からそれを受取り、ちょうど誰かにあげようと思っていたワンピースを1枚追加して、玄関を出た。

 

門の向こうには、女の人と男の子が2人立っていた。小学校の高学年と低学年くらいに見えた。「何かください」ではなく、欲しいものを果物と具体的に示してきたことから、相当食い詰めた貧しそうな人を想像していたので、その親子を見たときはびっくりした。

 

身なりがきちんとしているのだ。高そうな物ではないが汚くもだらしなくもなく、ちゃんと洗濯したてのような服を着ている。髪の毛もきちんとしているし、靴もしかり。本当にこんな人が、食う物にも困っているのか?大きな違和感。だが、皆ガリガリに痩せてはいた。

 

そんなことよりも、その親子の全身から放たれる強烈な「気」に圧倒された。ニコリともせずピクリとも動かず、全員が体をこわばらせて玄関から門まで歩いていく私を凝視している。唯一わずかに動いたのは、私から寄付の品を受取るときの母親の手だけだ。

 

その母親の目。まるで私に喰い付くかのような必死の形相。もう二進も三進も行かないというような、もしここで食べ物を分けてもらえなかったらこの場で親子ともども死ぬしかないとまで思い詰めているような、ブルブル震えるような緊迫感。これまで物乞いをする人を沢山見てきたが、あそこまで追い詰められた気を発している人には会ったことがなかった。それが深く心に刺さった。

 

実は私は、彼らの中にウン十年前の私と妹と母を見ていた。あの頃、私達は貧しかった。でも身なりはきちんとしていた、はずだ。母はずば抜けて明るい人だった。それでも私の遠い記憶の中で、あの頃の母は、今日の母親と同じような「暗く追い詰められた気」を発していた。私も子供らしさの欠片もない暗い目をした子供だった。

 

すっかり忘れていたその残像が、今日の親子のせいで蘇ってしまった。胸が痛い。