今、2月23日月曜日の午前10時半。

週の始まりだというのに、メキシコはまるで死んだかのように静まり返っている。

表を歩く人一人、道を走る車一台いない。

 

今からちょうど一日前、昨日の今頃、夫が言った。

 

「メキシコが大変だ。エル・メンチョが死んだ。

当局に生け捕られたのか殺されたのかわからないが、とにかく奴は死んだ。

これから、とんでもないことになる」

 

 

政治に疎い私には、何のことかわからなかった。

 

まずエル・メンチョというのは、メキシコ最大の麻薬カルテル(cártel)の親玉だった。

そいつが死んだ。政府にやられた。

 

えっ、いいことじゃないか!正義は勝った!ヤッホー!

 

と叫んでもいいはずなのに、夫の顔色は暗い。

 

なんで?????悪の総大将が死んだんだろ?嬉しいじゃないか。

なのに、その重苦しい反応は何なんだよ?!

 

夫は言う。

 

「そんな単純な話じゃないんだよ。エル・メンチョがいなくなった今、

その隙を突いて次の麻薬王の座を狙う奴らの闇の権力争いが始まるんだ。

もちろん、生き残った手下共が政府に報復(venganza)もするだろう。

これは用心しないといけない」

 

と言いながら、従姉のマルタからのボイスメッセージを聞かせてくれた。

彼女は、エル・メンチョが軍と警察の合同軍に襲われた町の近くに住んでいる。

 

「とにかく今いる所から動かないで!じっとしていて!表に出ちゃ駄目よ!

うちの娘は今どこどこに居るし、長男はどこどこに、次男はどこどこに、

私と夫は自宅にいて無事よ。皆には暫くそこから動くなと言っておいたのよ」

 

「町中にサイレンの音が鳴り響いているし、幹線道路は封鎖(bloqueo de carreteras)されてるって言うし、

とにかく家に閉じこもっているのが一番なのよ。今のところ焼き討ちは

起きていないようだけど、いつ何が起こるかわからないから。

いい、絶対に絶対に外へ出ちゃ駄目よ!わかった?」

 

と、マルタは悲壮な声で訴えていた。いつもの明るい彼女とは全然違う、

か細く沈んだ声。能天気は私もようやく事の重大さを感じ取った。

 

 

続いて夫はSNS(redes sosciales)の動画をいくつか見せてくれた。

山地や街中のあちこちで黒い煙がモクモクと湧き上がっている。

道で車が燃えている。

 

マルタがメッセージを入れたのは少し前だっったので、まだ焼き討ちは始まって

いなかったのだろう。SNSを見たときは「全国各地で」焼き討ちや主要道路の封鎖が

起きていた。

 

動画を発信している人も同じことを繰り返していた。

「表へ出るな!今いる所に閉じこもっていろ!」

ここまではっきりと画像を見せられて、やっと本当に怖さを感じた。

今そしてこれからメキシコは大変なことになる。

 

あれから丸一日経った。

 

全国展開しているオクソ(OXXO)というコンビニチェーンが国中で放火され、国営銀行が全国あちこちで放火され、国中で焼き討ちが行われている。

幹線道路では火をつけて燃やされた車があちこちに見られ、交通は遮断されている。

 

その結果として、罪もない善良な市民がとんでもない迷惑を被っている。

国中の主要な空港やバスターミナルは閉鎖された。到着便も出発便もキャンセルだ。

全国の学校も店も会社も役所も、今後数日は休校・閉店・閉鎖されることになった。

 

かくいう夫も、重い病に侵されている従弟の見舞いに行くつもりだったが、

少なくとも一週間は延期することにした。

 

というわけで、月曜の昼前という、普段なら人や物の動きが活発なこの時間帯に

表には車の音はなく、人の姿もない。何の音もしない。

街は不気味に静まり返り、息を潜めてこの危機が過ぎ去るのを待っている。

時折り遠くにサイレンが聞こえる。

 

なんということだ。

 

事実はわかった。それにしても、とまだ私には納得がいかない。

 

正義が悪を倒した結果が、なぜ善良な市民をこれほどまでに苦しめるのか?

正義は勝ったんではないのか?

こんなことになるくらいなら、悪は悪のまま放置しておいた方がよかったのか?

いや、そんな筈はないのだが。

「この苦しみは、真の平和に向かう生みの苦しみだ」との声もある。

 

そこで思い至ったのは、「日本人の素晴らしさ」である。

日本人は争いを好まない。血を見るのが好きじゃない。争いを避ける。

 

例えば、やくざの組長が逮捕されようが警察との銃撃戦で殺されようが、

そのせいで組が解散に追い込まれようが、

残った手下が腹いせに全国一斉の焼き討ちなどしない。

東名や阪神高速道路を封鎖もしないし、政府機関を襲ったりもしない。

 

だから新幹線も飛行機もいつもどおりに動くし、

学校も役所も会社もいつもどおりに稼働する。

国民はいつもどおりの暮らしを続けられる。

 

やくざの親玉が消えたことは、国民の日常生活には何の影響も及ぼさない。

ごく平和だ。社会全体が常に落ち着いている。

 

 

 

なのにここメキシコでは、こういう「暴力的な報復」は当たり前だと

認識されている節がある。もちろん第三者の善良な市民はたまったもんじゃないが、

「誰であれ(←ここ大事)こういう目に遭ったら、荒っぽい報復をするのは当然」

という暗黙の了解というか共通認識があるようだ。

 

だから今は各自が家に閉じこもって嵐が過ぎ去るのを待つのが一番なのだ、

と誰もが心得ている、という感じ。

 

組長が政府に殺された→じゃあ、コンビニを爆破・放火する→車にガソリン撒いて火をつけて道路を封鎖する→国営銀行に焼き討ちもかける。

 

なんでこんな流れになるの?なんで?

メキシコ人ってどういう思考回路してるの?

 

日本人の私には全然わからない。

日本人ってDNAのレベルで争いを嫌い、平和を望む民族なんだな。