割れたガラスのハート

 

すでにヒビが入り続けていたガラスのハートがとうとう割れた。

 

それが今の私…

 

 

割れた破片を拾いに行けない。


何をしていても上の空。


始めから緑内障というものを楽観視もしてなかったけど…。

 

自分では何の努力も功を奏しない難病だと思う。

 


早期発見すれぱの言葉は聞き飽きた…。

 

 

早期といわれる頃に発見に至れなかった人にとっては、なんの意味もない。

 

生涯、視力を失わない望みが叶ったか、治療が成功したのか、どうかなんて命が尽きる時まで分からない。

 

 

外を歩くと知らない人が歩いてる。

 

健康じゃない人もいるかもしれない。

 

悲しいことを抱えいる人もいるかも知れない。

 

でも、目が見えるだけいいじゃんって思ってしまう...。

 

 

励ましてくれる家族や友人がいてくれても、ずっと心が孤独 孤独過ぎる。

 

この感情は、今日、手術が決まってから沸いたものじゃなくて、緑内障発覚時から、 治療を始めてから、ずっとあったもの。

 

 

泣く気力もないのに涙がこぼれてくる。

 

でもこれは我慢すべき涙じゃない。

 

不安な心は気力で取り除けるものじゃない。

 

その気力、あっても使う必要もないと思う。

私にとってはそう。

 

そんな感情を解放くらいしていいはず。

 

 

治療をサボったことぱないけれど、この先、自暴自棄になるかもしれない。

 

でも、始めからそうだった訳じゃないし、病気にちゃんと向き合わなかった訳でもない。

 

むしろ、自分のこと、通院も目薬治療も怠らず、緑内障について何冊も本を読みあさり、優等生な患者だと思う。

 

 

生老病死は避けられない。

 

理想的な前向きになれないけど…

情けない生き方はしたくないっていう意思だけは私の中ある。

 

そうだったことを忘れないように綴ることにした。

 

 

私は、ガラスの破片を拾いに行けるのだろうか…。

 

 
修復作業を終えることが出来るのだろうか…。
 
 
修復されても傷が消えることはないよ。

 

 
それなら抱えたまま生きていくしかない…。