信頼

 

主治医の先生から緑内障専門の執刀医の先生の診察を受けましょうと促されました滝汗

 

 

 
そして受けた診察。
 
グラフ化されたここ数年の視野検査見ながら説明をされました。
 
あの、点と線の右から左の図です。
 
右目が1%、左目が3%の下がり方。

 

 右は30年後までどうにか持てる可能性あったとしても、左目は10年。

 

データ上での予測でしかないから、実際はお医者さんでも分からないということなのですが…。

 

 

緑内障は、回復しない病気だから、たったの2%でも長い人生では、非常に大きなことを左右する数値。

 

他にも視神経を撮る写真とか、必要なものは全て定期的に受けてるし、視野検査、私、上手みたいで、信憑性が高いそう。

そんなことまで分かるんだ汗

 

その上でのお話。

 

「目薬3本の治療から、もう一歩踏み込んだ治療を推奨する時期にきています。手術をしても進行を止めることは出来ません。失った神経を戻すことも出来ません。まだお若いので先が長いです。今はほんの一部の時間で、平均寿命で考えるとこの先まだ長く続きます。だから残っている視野を少しでも長く残せるように、今、ある視神経を守る必要があります。失ってからでは遅いです。」

 

 

自分の目を預けるかもしれない執刀医の先生。

 

目を見てしっかりと伝えてくれましたビックリマーク

 

 

この人は信頼できる人と直観しました。

 

「この人」という表現をあえて使います。

 

有名な先生である前に、その先生の人間性を感じたからです。

 

私には、仕事として病気に向き合う姿勢より、さらに強くこの人の目に「最良の治療をするという姿勢、タイミングを外してはいけないと語るような目」を感じたのです。

 

 

憶測でしかないし、そして、これはこちら側の願いのようなものかもしれないげれど…

 

 

「僕に任せなさい」のメッセージがあると受け止めました。

 

そう思う、思いたいというのは自由だし…

 

ここで手術を先送りすること、出来ない現実は理解していて、あとは…

 

信頼から生まれてくる勇気を出せればよいのだから…

 

 

 

それでも、怯える自分の心を一歩進めるためにまだワンクッション必要で…

 

「緑内障が発覚した時から、ずっと怖くて怖くて、命の寿命をいわれるのと同じくらい今でも怖いです。この病気で私に自分の努力で出来ることはありますか?」

 

と質問しました。

 

執刀医:「ありません。○○さん(私の名前)が何をしたわけでもない、何も悪いことをしていません。

ですが、失明原因の第1位が緑内障です。完全に治すことが出来ないところが難しいところなんです。だから、残っている視神経を守るために今のタイミングがベストだと考えます」

 

私:「覚悟はしていました。その時が来たら躊躇している場合でないこともよく理解しています。よろしくお願いします。」

 

と答えました。

 

 

 

 

 

私が今までの人生で、誰かに対して持つ信頼の基準は「人間性」。だだの直観だけではなくて。

 

差し出していただいたものを両手で受け取りました。願いを込めてみたいな心境かな…。

 

 

 

自分の生きてきた環境にその力を養うシチュエーションがあったのだな…。と。

 

 

信頼できる人、のお陰と…そんな私が、私に最後の勇気を与えてくれましたドキドキ

 

 

 

 

※前回のノートより少し整理して書けたかな…

 

でも重すぎて、絵文字を使う感じにはなれなかった…

 

キロンでした照れ

 

割れたガラスのハート

 

すでにヒビが入り続けていたガラスのハートがとうとう割れた。

 

それが今の私…

 

 

割れた破片を拾いに行けない。


何をしていても上の空。


始めから緑内障というものを楽観視もしてなかったけど…。

 

自分では何の努力も功を奏しない難病だと思う。

 


早期発見すれぱの言葉は聞き飽きた…。

 

 

早期といわれる頃に発見に至れなかった人にとっては、なんの意味もない。

 

生涯、視力を失わない望みが叶ったか、治療が成功したのか、どうかなんて命が尽きる時まで分からない。

 

 

外を歩くと知らない人が歩いてる。

 

健康じゃない人もいるかもしれない。

 

悲しいことを抱えいる人もいるかも知れない。

 

でも、目が見えるだけいいじゃんって思ってしまう...。

 

 

励ましてくれる家族や友人がいてくれても、ずっと心が孤独 孤独過ぎる。

 

この感情は、今日、手術が決まってから沸いたものじゃなくて、緑内障発覚時から、 治療を始めてから、ずっとあったもの。

 

 

泣く気力もないのに涙がこぼれてくる。

 

でもこれは我慢すべき涙じゃない。

 

不安な心は気力で取り除けるものじゃない。

 

その気力、あっても使う必要もないと思う。

私にとってはそう。

 

そんな感情を解放くらいしていいはず。

 

 

治療をサボったことぱないけれど、この先、自暴自棄になるかもしれない。

 

でも、始めからそうだった訳じゃないし、病気にちゃんと向き合わなかった訳でもない。

 

むしろ、自分のこと、通院も目薬治療も怠らず、緑内障について何冊も本を読みあさり、優等生な患者だと思う。

 

 

生老病死は避けられない。

 

理想的な前向きになれないけど…

情けない生き方はしたくないっていう意思だけは私の中ある。

 

そうだったことを忘れないように綴ることにした。

 

 

私は、ガラスの破片を拾いに行けるのだろうか…。

 

 
修復作業を終えることが出来るのだろうか…。
 
 
修復されても傷が消えることはないよ。

 

 
それなら抱えたまま生きていくしかない…。