プランツゾウ | チロ・ツグミ・メリー・マフユと 動物問題 ~ ヴィーガン ~

チロ・ツグミ・メリー・マフユと 動物問題 ~ ヴィーガン ~

愛猫チロとツグミ、愛犬のメリーと暮らしています。
主に、動物問題について書き記します。
超偏食&料理経験なしでしたが、畜産の悲惨な実態を知ってから、ヴィーガンになりました。

動物問題について発信している人なら、一度は「植物も命です」というコメントがきた方もがいらっしゃることと思います。

私のブログでは奇跡的に来てないのですが、他の方のブログやSNSを見ていると、頻繁に見かけます。

 

「植物も~」から始まる論法を、Plants tho(プランツゾウ)論法といい、thoは「~も」を意味しています。

 

私はこれほどくだらない論はないと、子供の時から肉食の頃から思ってましたし、それは今も同じ。

そもそも論点がズレすぎているので、そこから説明する必要があり、話にならないと思っています。

 

なので普段なら、仮にこんなコメントがきても余裕で無視しますし、こんな話題に触れることもないのですが、

先日、ブロ友さんにこの論をコメントしてきた人がおり、その人にはその論がいかにズレているかをお伝えしました。

案の定何の知識もない方で、返信はすぐになくなりました。

 

せっかくの機会ですので、そこに書いたことを広げて、一生に一度くらいは、このくだらない論について触れておきます。

 

そもそもとして、ヴィーガンは、動物の「種」差別に反対しています。

種とは何なのかを、まず理解していただきたいと思います。

 

****************引用****************

 

この世の中のものは、無生物と生物に分かれる。

 

無生物っていうのは、PCのマウスとか金属だったり空気だったりとか。

 

生物ってなにか、命あるものとはなにかというと4つの定義がある。

 

1つ目は、自己増殖。

自分で増やせる、子供を作る、分裂したりとか。

 

2つ目は、エネルギーを代謝する。

我々は食べて消化して、それをエネルギーに変えて動いている。

けど植物というのは、光合成と二酸化炭素で動いている。我々と真逆。

あと菌は、吸収でエネルギーを代謝している。

 

3つ目は、、ホメオスタシス(恒常性)。

食べて排泄して生きていても、一定温度をずっと保っている。

こういう体を維持していくのが、ホメオスタシス。

 

4つ目は、境界をもつ。

人間の表面と、外は分かれている。

表面から中が自分で、表面から外が外界。

これが境界で、生物の定義の一つ。

例えば空気とかは、境界が分からない。

 

ややこしいのがウイルス。

ウイルスというのは、生物と無生物の間って書かれた本があったように、よく分からない。

生きてるか死んでるか、生物か無生物かも分からない。

 

 

生物を1段下に分けると、原核生物と真核生物に分けられる。

 

原核生物と真核生物の違いは、どっちが進化度が高いかという話で、

真核生物の方が進化度が高い。

 

細胞の中には核があり、我々も核を持っているが、

原核生物と真核生物の細胞の大きさを比べると、だいたい1000倍ぐらい違う。

 

 

さらに1段階下げると「界」になる。

ここから、界門項目科属種(かいもんこうもくかぞくしゅ)という分け方になる。

 

界の部分は、3界説と5界説と6界説があるが、ここでは6界説にしている。

 

原核生物は、古細菌界と細菌界

真核生物は、原生生物界、菌界、植物界、動物界に分かれる。

 

菌と細菌は異なる。菌というのは、キノコやカビ。

 

植物界は50万種、動物界は100万種で、動物界の方が実は多い。

 

植物界は固定されてて光合成をする。

動物界は移動ができ、感覚がある。

 

 

ここからさらに下に分けると「門」になる。

動物界だけ見ていくと

動物界は、脊索動物門、節足動物門、軟体動物門に分かれる。

 

脊索動物門は、我々のように、せき髄、背骨、脊索がある動物。

節足動物門は、虫。

軟体動物門は、タコやイカ。

 

 

さらに下に分解すると「綱」になる。

脊索動物門は

哺乳綱、鳥綱、爬虫綱、両生綱、硬骨魚綱、軟骨魚綱など、12個くらいある。

 

ここは、我々が「類」と言っているところ。

哺乳類、爬虫類、両生類などと言っているが、本当は「綱」。

慣習的に類って呼んでいる。

 

爬虫の「爬」とは爪で這うという意味で、トカゲやカメやヘビが爬虫綱。

 

両生綱というのは、子供のときは水の中にいて大人になると外に出る。

エラ呼吸から肺呼吸になるというのが両生綱。

 

 

さらに分解すると「目」になる。

哺乳綱は

食肉目、霊長目、齧歯(げっし)目、偶蹄(ぐうてい)目、鯨目など、もっといっぱいある。

 

この中で、人間は霊長目に入っている。

何で霊長かというと、動物の中で一番霊的な格が高いとされているから。

ここの時点で、名前的に差別がある。

 

食肉目は、別名ネコ目と呼ばれ、肉を食べる肉が中心の動物。

 

 

さらに下がると「科」になる。

食肉目は、ネコ科、クマ科、イヌ科など、犬歯がある動物になっていく。

 

 

さらに下にいくと「属」になる。

ネコ科は、ヒョウ属、ピューマ属、イエネコ属など。

 

 

ここから1つ下がって、やっと「種」になる。

ヒョウ属は、ヒョウ、ジャガ、ライオン、トラなどがいる。

 

種差別は、ここのレベルで差別をしてますよっていう定義。

 

なので我々、動物解放だったりアニマルライツを主張する人は、

種差別をしてはいけないっていうのが主張。

 

決して界差別やドメイン差別をしてるって言ってるわけではない。

一番下の種の部分で差別はよくないってことを言っている。

 

種って何かっていうと、種の違いは子供を残せないというのが基本。

交配しても、子供が生まれても、すぐ死んじゃったりとかっていうもの。

 

ただ、今話したものには全部例外がある。

例えばトラとライオンの子どもとかもいる。

 

そういった例外もあるが、基本的には種の違いというのは子供を残せないこと。

 

動物の権利っていう概念が生まれた根本っていうのは、

種で差別してはいけないとか、

感覚ある者、痛みを感じる、苦痛を感じるものに対して、

痛みを与えて自分たちの利益を得ていいのか、美味しいから痛みを与えてまで食べていいのかっていう

倫理的な理由によって、動物の権利運動っていうのは発達してきた。

 

植物っていうのは、科学的には痛みはない。

信念の世界では、植物にも痛みがあるとか感情があるとか、木と会話できるとかあるけど、証明のしようがない。

 

なので、決してその植物をむやみやたらに壊すわけじゃないし、

できるところからわかっているところから解決していこうというのが、動物の権利や、動物の解放。

 

****************引用終***************

 

 

厳密には、ヴィーガンは「動物界」の「種」差別に反対しています。

犬猫はペットで、豚鶏牛は食べ物。

こういった種による差別を人間の欲のために行うのはやめましょう、と訴えているわけです。

 

動物界と植物界の「界」差別に反対しているわけではありません。

動物界と植物界は分類されているように、異なる生き物です。

 

動物は脳と神経があります。

感覚と意識があり、つまりは、痛みや苦しみを感じる能力があります。

 

植物には脳と神経がありませんので、感覚も意識もありません。

感覚や意識があるのは、ファンタジーの世界だけです。

 

感覚や意識がある動物に、人間の利益を得るために、痛みや苦しみを与えて搾取することに反対するのがヴィーガンです。

植物の話はそもそもしていないのです。

 

なので、うまいから動物を食うんだとか、人間は偉いので動物をどう利用しようが人間様の自由、動物に権利など必要ない、などと言う倫理観のない人達もいますが、

まだこの人たちの方が論点自体はズレていません。

 

私が、「植物も~」という論を最初に見たのは、小学生の時に読んだ漫画「美味しんぼ」だったと思います。

美味しんぼは実は全く読んでないので主人公の名前すら知らないのですが、その話だけたまたまどこかで読んだんですよね。

 

その話には、ベジタリアンのおばさんが登場して、

おばさんが肉を食べない理由が、動物が可哀そうだからとかそんな感じだったと思うのですが、

主人公が、そのおばさんと、2人くらい小さい子供がいる前で、ビデオを見せていました。

 

そのビデオが、植物が育つ様子を、倍速で再生して見せるというもの。

植物が伸びていく様子に、子供たちがなぜか急に「頑張れ!」と言って植物を応援しだします。

そして、主人公が「見ての通り、植物も生きているんだ」といった感じのセリフを言って、

おばさんが言い返せず終わる、みたいな話だったと思います。

 

私は当時、小学生ながらにして、肉食ながらにして、子供向けの話だなと思いました。

そもそも、子供たちがビデオを見て応援しだすのが不自然で、最後のセリフに持っていきたいがための演出というのがすぐに分かりましたし、

「植物も生きている」と言ったときに、いや食べないのはそういう話じゃないでしょ、と思いました。

 

動物は痛みを感じるから殺すのが可哀相なのであって、はなから植物は生きてないなんて話をしてないじゃんっていう。

 

まぁそれを肉食の自分が思っていたわけですから、結局自分も矛盾しているわけですけど。

(そこはメルヘン小学生だったので、動物はきっと優しく殺されているなどと思っていたわけです)

 

にしても、大人になってから「植物も~」なんて言っている人がかなり多いので驚きました。

 

 

人間は頻繁に「認知的不協和」という状態に陥ることがあります。

 

*****************引用*****************

 

認知的不協和とは、自分の思考や行動に矛盾があるときに生じる不快感やストレスのことを言います。

人は認知的不協和の状態に陥ったとき、この不快感やストレスを軽減させるために認知や行動を変化させます。

 

よく用いられるのが「タバコ」の例です。

喫煙者は、「タバコは体に悪い」と認知していながら、それでも「タバコを吸う」という行動をしている人が多くいます。

これは矛盾した状態、つまり認知的不協和に陥った状態です。

 

このとき、たとえば「タバコを吸うことでストレス解消になる」というように認知を変化させれば、

認知的不協和から生じる不快感やストレスを解消・軽減することができます。

 

私たちは、常に自分の思考と行動が一致しているとは限りません。

自分のなかに矛盾があるのは気持ち良い状態ではないため、これを解消するために「つじつま合わせ」や「言い訳」「自己正当化」をしようとします。

 

****************引用終***************

 

自分の思考と行動に矛盾がある時に生じる不快感を、心理学用語で認知的不協和といいます。

この不快感を解消するために、人間が行う行動は2種類あります。

 

自分の思考に合うように行動を変化させる または 正当化して今の行動を続ける です。

 

よく使われるのは上記のようなタバコの例ですが、

動物虐待に反している人が、動物を食べることに不快感や罪悪感が生じた場合で言えば、

動物を食べるのをやめる または

植物も生き物、人間は何かしらの生き物を食べなければ生きていけないから、動物を食べるのは仕方がない

太古の昔から人間は肉を食べて生きてきたのだから、肉を食べることは自然なのだ

などという感じで、自分の中で正当化し食べ続けるのです。

 

大半の人は後者です。

だから動物問題を発信している人を見ると、一度解消した不快感が再び呼び起こされるのを恐れ、防衛本能で強く反発するのです。

だから、ただ動物問題を発信、啓発をしているだけでも、過激だとか、押し付けられたとか、植物も命だとか、理性的でない過剰な反応が多くなります。

 

発信してるだけで、押し付けられた と感じるのはものすごくおかしな反応です。

押し付けとは、例えば、あなたが食べようとしている肉を取り上げて、無理やり野菜だけを食べさせるというものです。

そんな事誰もされてないでしょう。

 

嫌なら見なければ済む話です。

別に動物問題に限らず、発信だけで押し付けになるなら、一体どうやって社会問題を広げていくんでしょうかね。

奥底に罪悪感を抱えているがゆえの過剰な反応といわざるをえないでしょう。

 

 

そしてもう1つの過剰な反応が、植物の防衛反応を「痛み」と捉えてしまうものです。

 

*****************引用*****************

 

近年、埼玉大学の研究者グループが、植物の危険を知らせるシグナルの一部解明をして論文を発表したのです。

その研究者グループによると、実験に使われた植物は、シロイヌナズナという雑草です。

 

実験で使われたシロイヌナズナは、虫に葉を食べられて傷つけられると、細胞からある物質を流出します。

そのある物質とはグルタミン酸です。

 

植物に神経や脳はありませんが、グルタミン酸が植物における「神経伝達物質」のような役割をして、以下の1〜3の順で反応をします。

  1. グルタミン酸がグルタミン酸受動態結合される
  2. 細胞内でカルシウムイオンのシグナルが発生する
  3. 「師管」を通じて全身に伝わる

この3段階の反応により、グルタミン酸が植物全体に伝わる時間はわずか1、2分です。

 

ここに「植物が本当に『痛み』を感じているのか」と植物学者のダニエル・チャモヴィッツ氏へインタビューした記事があります。

Q:つまり、私がお話をちゃんと理解しているとすると、植物は比喩的にではなく実際に感じることができる。しかし、植物は痛みを感じない。これで会っていますか?

 

A:植物は侵害受容器を持っていません。植物は圧受容器を持っていて、自分が接触された時や動かされた時にはそのことを知ることができます。植物は機械受容器という神経細胞を持っているのです。

 

Q:はっきりさせておきましょう。植物は自分が損傷されている時はそのことを知っているんですよね?

 

A:あなたは、明確に植物を殺すことができます。

しかし、植物はそのことを気にしません。(You can definitely kill a plant,but it dosen’t care.)

引用:「植物は痛みを感じるか? 生物学者に訊いてみた。」道徳的動物日記

 

他にも、チャモヴィッツ氏は「生物的な現象であり、そこにスピリチュアルな要素は全くありません」とキッパリ。

「植物が『痛み』を感じる」というのは「私たち自身が事態を擬人化しているのです」とも述べています。

 

つまり、植物は接触されるのは感じますが、「痛み」を感じる仕組みがありません。

また、私たちは植物を殺しても、植物にはその恐怖がないということになります。

この実験により判明したのは、植物は傷つけられるとそれを感じるが、どういう仕組みで感じるのかということだけです。

 

****************引用終***************

 

 

最近、日本の研究者グループが、

シロイヌナズナが傷つけられると、シグナルを発生させるという事を発見しました。

 

しかし、これは傷つけられた時にそういう反応が起こるというのを解明しただけで、痛みを感じているという証拠ではありません。

発見した本人ですら、「痛みかどうかは分からない」とコメントしています。

 

しかしこれを、肉を食べている人たちが、「植物も痛みを感じている!」と拡大解釈したのです。

 

加えて、最近NHKの番組でも、植物を擬人化し、あたかも植物が意識や感情があり、痛みを感じているかのように表現しました。

 

これを真に受けた人たちが、「植物も意識や感情があるよ」「植物も痛みや苦痛を感じているよ」と言っているのです。

ちなみに、冒頭のブロ友さんにコメントしてきた人もそうでした。

 

植物には脳と神経がありませんので、感覚も意識もありません。

あるかもしれないというのは、根拠のない、非科学的な話です。

 

こんなのは当たり前の話なので、明らかな過剰反応ですが、人間は食欲になると理性を失いやすいようです。

なんとしてでも認知的不協和の状態を脱したい、その材料を探し続けているのでしょう。

 

 

植物が切られる、熱湯にかけられる、焼かれる様子、日常でも見かけますし、テレビなどで当たり前のように放送されていますね。

植物も動物も同じ生き物だと思うのであれば、ぜひ次の動画を直視してくださいね。

 

こちらは、牛が喉を切られ、まだ生きた状態で、皮を剥がれ、耳を切られる動画です。

 

 

こちらは、犬や豚が生きたまま、熱湯に入れられる動画です。

 

 

 

こちらは、豚が喉を切られ、生きたまま焼かれる動画です。

 

こちらは、羊かヤギかも分からない動物が、生きたままジワジワと焼かれ、殴られている動画です。

 

 

 

 

植物と動物が同じだと言うわけだから余裕で見れるでしょう。

 

ぜひ逃げずに見てくださいね。

 

 

あなた方は本気でこれらが、植物が切られ茹でられ焼かれることと、豚が切られ茹でられ焼かれることが同じに見えるんですかね?

果実がもぎとられることと、羊や鶏の首が切断されることが同じだと言い張るんですかね?

 

だとしたら、あなたは立派なサイコパスです。

 

しかし、サイコパスと呼ばれる他人に共感しない連中ですら、動物と植物の違いは分かっています。

動物虐待は存在しても、植物虐待は存在しないでしょう。

植物を切りつけて興奮する連中はいません。

動物虐待者は、動物が痛み、苦しむ様子を眺めて興奮し喜んでいるわけです。

つまり、動物にしか痛み、苦しみがないと認識しています。

 

 

畜産はこんなに酷いことが行われていない、と主張しますか?

残念ながらそれはあなたが無知なだけです。

ぜひこの動画を見て、畜産の裏側を勉強してください。

 

 

 

それとも植物からも動物と同様、悲鳴が聞こえるとでも主張しますか?

 

普段からあなたは雑草を踏まないように歩いてるんですか?

飾る為だけに花を摘んでいる人がいたら、花が苦しんでいるからやめろと注意するのですか?

あなたにとって、草刈りの時期や、収穫の時期は、植物の悲鳴があちこちで聞こえて耳を塞ぎ続けているのですか?

 

火事のときに消防士さんが、ペットのワンちゃんよりも先に、家にある野菜を持ってきたら、あなたは納得するんですね?

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ところで、あなたにとって爪と髪の毛は生き物ですか?

痛みを感じるんですか?

爪切りや散髪のときに悲鳴が聞こえているんですか?

 

 

書けば書くほど、プランツゾウはくだらない論だという思いが増すばかりです。

 

 

ヴィーガンも犠牲はゼロにはできない。

野菜を作るのに、農薬も使うし、虫も殺している。

薬を作るのに動物実験をしているとでも主張しますか?

 

犠牲はゼロにはできないから、どれだけ殺しても同じだろうということですか?

 

犠牲はゼロにはできないから、いくら犠牲を出してもいいというなら、

もちろん悪徳繁殖家による犬猫の犠牲も出ていいという事ですよね?

 

犠牲はゼロにはできないから、いくら犠牲を出してもいいというなら、

この世界にあるあらゆる人間の社会問題、

イジメもハラスメントも差別もレイプも人身売買もゼロにはならないので、

いくら起きても知ったことではない、啓発するだけ無駄だということですよね?

 

だとしたら、あなたは倫理観のない人ってことですよね。

犠牲を減らそう、最小限にしようというのは、倫理観のある人なら当たり前の思想です。

その思想がない人の考えなんてどうでもいいですし、もともと倫理観のない人に向けて発信をしていないので、なおさら関わってこないでいただければと思います。

 

 

もし、犠牲を最小限にしようという考えはあるけど、植物と動物を同じ命とみなしている人と仮定しましょう。

 

だとしても、あなたは菜食をするのが合理的です。

なぜなら、菜食をした方が、植物の犠牲も減るからです。

 

****************引用*****************

 

畜産業は非常に効率の悪い食糧生産システムで、

1kgの「牛肉」を作るために25kg、

1kgの「豚肉」を作るためには6.4kg、

1kgの「鶏肉」を作るために3.3kgの動物飼料が必要です。

 

そしてこれら動物の飼料となる大量の大豆の生産のために森林が破壊され、アマゾンでは放火まで起きています

(2019年、アマゾンで増加した森林火災の主な原因は、牛の牧草地と、大豆畑のための放火)。

 

2019年に、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が発表したレポートは次のように書いています。


「動物ベース食品の消費量が多いほど環境への影響の推定値が高くなり、

植物ベース食品の消費量が増えると環境への影響の推定値が低くなる」

さらに

「動物性食品がまったく消費されない最も極端なシナリオでは、現在使用されているよりも少ない土地で、

2050年でも十分な食料生産を達成でき、かなりの森林再生を可能にし、温室効果ガス排出量を3分の1に削減できる」

 

*******************************************

 

牛や豚や鳥の肉を1kg作るのに、25kg、6kg、3.3kgの飼料が必要になります。

つまり、植物を直接食べれば、植物の犠牲はその分減ります。

 

さらに、畜産は環境破壊の原因にもなっています。

 

アマゾンの森林火災は、自然発火ではありません。

人が牧場を作るために、火をつけて燃やしていたのです。

 

環境破壊をするということは、野生動物の住処が失われるということです。

森林伐採などで住処を奪われるだけでもそれなりに死んでしまいますが、

森林火災など起こせば、かなりの動物が死ぬでしょう。

 

そして森林火災は、文字通り、草木を殺しているわけです。

 

つまり、仮に植物と動物を同じ命とみなしたとしても、犠牲を減らしたいというなら菜食をすべきなのです。

 

植物と動物も同じ命として心を痛める人であれば、植物にまで思いを馳せられるはずの人が、

これらの問題にフォーカスしていないとおかしいんですが、実際はそうはなっていませんね。

 

「植物も~」と言っている人は、無知な人か、植物も動物も大事にしない人です。

断言します。

 

無駄な時間を過ごしていまいましたが、1度くらいはと思い書いてみました。

もう二度と、植物も命論にについて書くことはありません!

 

 

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