写真46:コブ牛の悲劇? | 心の暴風警報 in INDIA

写真46:コブ牛の悲劇?



世界遺産タージ・マハルの庭で働く芝刈り牛


コメントでたまに「牛たちはノラ牛なんですか?」とか、「神聖視されていると聞いたけれど、何のために飼われているんですか?」という質問をうけるので、今日はそのへんの話を~。


まず、町のそこら中にいる牛たち、基本的にはノラ牛ではなく、どこかの飼い牛だそうです。

飼い主は自分の牛がどれで、だいたいどの辺にいるか、分かっているらしい。


犬と同じで、牛も縄張りがあるのか、意外に行動範囲は狭いです。


だいたい溜まる場所が決まっていて、そこにいつも同じ顔ぶれの牛たちがぬぼーっとつっ立っています。


でも、このように都市部でブラブラしている牛たちの中には「捨て牛」もいるらしいですよ。


捨て牛の運命をたどるのは、老いぼれた牛や病気の牛。

時々、痩せこけた牛、今にも死にそうな牛などを見かけますが、「きっと捨て牛だな」と思います。



さて牛たち。

インドでは、特にヒンドゥー教徒にとっては、「神聖な動物」です。


以前にも「写真18:インドといえば牛だよね」 の記事で少し書いたけれど、なぜ神聖視されてきたか、というとそれは「大変役立つ」からです。

役立つ

生活のすべてを牛にお世話になっている

まるで母親のようだ、あんたナシでは俺たち、まるで生きていけない

神聖視


・毎日ミルクを出し、ミルクからはギー(牛の乳から作られるバター)も作られるし、パニール(牛の乳から作られるカテージチーズ)。

・糞までが燃料や肥料として使える。
・そして畑仕事も手伝ってくれる(畑をならすのを手伝ったり)

昔から人々の生活は、「牛さまさま」だったんです。

「牛さまさま」なのは、今も農村部ではまったく同じ状況。ミルクを売って得られる現金収入にたよって生きている人もたくさんいますよ。


例えばブーンドの家に毎日ミルクを配達しにくるミルクマンも、毎朝4時に起きて、ミルク缶をたくさん担ぎ、郊外の農村部からローカル電車に自転車ごと乗り、電車を降りるとそこから自転車で配達しにきているんですよ。


今でもインドの電車の安いコンパートメントに乗ると、人々に混ざって、ミルク缶やら野菜の山やらヤギやら、あらゆる農産物がこれでもかという程積み込まれていたりしますよね~。


背よりうず高く積まれたカリフラワーやニンニクの上に乗っかって寝ている人など普通です。


ミルクマンはだいたいミルク缶の上に座ってますね(笑)。



そして、「働く牛」もいるんですよ。


代表的なのが「荷物引き」。




こうやって「コブ」に引っ掛けて荷物を引かすんですね。

思うに、予想ですが、働くうちにどんどんコブも大きくなって、
「引っ掛けやすく」なるんじゃないかと・・。

見るたびに「痛そう・・・」と思います。




一匹でこんな荷物を引っ張れるんですから。

そうとうな力持ちです。
でも、牛さんはかなりイヤそうですね。

そもそも、「コブ」なんですが。

ちゃんとした「コブ」がない種類の牛もいます。

だから見るたびに思うんです、

「あぁ、コブがあるばっかしにこんな荷物を引くハメに・・」
って思ってそう、って(笑)。
「俺もコブなんか持って生まれなきゃなー・・・」
「なんだって、こんな引っ掛けやすいコブ持ちなんだ、俺」
「やってらんねー」



それでこんな人ごみの中を引っ張らされるんですから、大変。

コブがあるばっかしに・・・・。

一番上の写真は
「タージ・マハル」の庭園で働かされていた芝刈り牛。

さすが「世界遺産」ですね。

さすが外国人から入場料2000円以上(たしかもっと)取るだけあります。

インド人の入場料の50倍弱。(ふざけんなー)


芝刈り牛も、きれいな牛使っていますねぇ。

2匹同じ大きさで、ペアとして見た目にもいい。

メンテ(牛の)も行き届いているようで真っ白。

町の中にこんな真っ白い牛、あんまりいません。

角も切られて、磨かれてさ~。
なにより、「コブ牛の不幸」感が漂ってませんもの(笑)。