皆さんお忙しいようね?わたしとりあえず、投稿するわよwww
改めて、人に文晒すって難しいわね。わたしはここで、わざわざ貴重な時間割いて自分に嘘ついても仕方ないから、嘘のないように気をつけてるけど、ついつい、世の中のステレオタイプなオカマ像をなぞってしまおうとしてないか、とか、テンプレオカマ像に文句言えばいいだけに聞こえないか、とか、色々考えて、結局書いたもん消して、の繰り返しだわwww
オネエブーム以来、最近さすがに、オカマの低レベルな恋愛アドバイスだのファッションアドバイスだのテンプレも飽きられ、それに対するアンチテーゼで斜に構えるポーズすら食傷気味で、かといって実際オネエな自分もいるしで、身の振り方に悩む日々よwww
オネエとおこげ(オカマリスペクト女)のやり取りというのは10年以上前から消費されて来て、正直今さら感も半端ないわね。だけど、いまさら仲良くなっちゃったんだもの。。。しょうがなくね?www なんにせよ、わたしは、やるからには、掘り下げるつもりよ。
あん!!煮詰まってても、前に進まない!!ここからは、前回自分が書いたことのつづきよ。
写真は、女装始めた親友からヅラをかぶらされたやつ。結構気に入ってるわwww
テキーラキメたら、ジャネットっぽくなったわ

自分の一人称や喋り方が、その場や相手によって変化することを考えていくと、いかに自分が、役割やキャラクターを演じ分けているかということに気づいたの。
こう書くと、なんだか八方美人とか多重人格みたいだけど、マイナスなことばかりではないと思うのね。人間は多面性のいきもの。いつからかLGBTということばをメディアで多く見聞きするようになり、ダイバーシティ(多様性)グラデーションという言い方を、性別の差異に当てはめることが多くなったわね。それって、LGBTに限らず、人の処世術にも言えることだと思うのよね。
わたしは、両親にはカミングアウト済みなんだけど、彼らの前では、まだホゲないわwww
(ホゲるとは、オネエことばだけでなく、いわゆるオネエ的な仕草をすること全体を指してそういうわ)
気の置けないゲイの友達の前では、オネエ言葉と、「柔らかい」男性の口語、そして部活の影響か?それとも元来の口の悪さからくる?「おんめぇ」「おいコラ!!」「っっざけんなよ!!」などの威嚇ことばが混じってるのだけど、両親の前では、主に毒の抜けた柔らかい口語に、ほんのり女性的な語尾「~なのねぇ。」がまぶされる感じ。
職場ではもっとビジネスライク。だけど職業柄(介護職をやってます~。カマ護士ゆきをです)、お年寄り相手だとどうしても口調は柔らかくなるから、ほんのり女性的な語尾にならざるを得ない(これはノンケの同僚にも言えるわ)。最近はカミングアウトのおかげで、ホゲを小出しにするようにはなったけど、まさかまさか、全開とまではいかない。
20代の頃は、「理想の自分」というのが漠然とあって、しかもそれは「モテ」「20代後半相応」「いい職員」とか、誰かの作った基準、世の中のものさしに自分の枠をはめようと躍起になってたわ。しかもそれが、ゲイとしての幸せ、仕事人としての安定、家族の役割など、まったく方向性が違うものを、もやもやとした理想と比べるもんだから、いちいち現実とのギャップに引き裂かれるばかりだったわ。ゲイの友達と楽しく遊んでも、年相応のノンケはみんな結婚して、もう顔つきが親のそれになって、劣等感を感じる、とか。ゲイとしての幸せ一つとったって、友達の役割、恋人の役割、セックスの位置付けが、人それぞれ違うことをわからずに、そのつど他人と自分の違いに打ちのめされていたの。
わたしは、ごはんを何度か一緒に食べてから、色っぽいことも試すように、石橋を叩いて渡りたかったけど、人によっては、まずセックスの相性だけ判断してから、身の振り方を決める、とか。よく、「わたしは昔からこうなのに、なんでみんな、こんなにめちゃくちゃなんだ!!」なんて、腹の立て方をしてたわ。自分だって、人の立場とか顔色伺って話し方すら変えるくせに、よくもまあ棚に上げて言えたもんだわ。。。
人間は多面体、さまざまな役割を演じることがコミュニケーション能力のひとつの発露という風に考えるようにしてから、だいぶラクになったわね。いろんな顔を持つことを割り切るようにしてから、かえって、自分自身が、統合されてきてるかんじ。ゲイとしての理想はこうで、だから劣等感を感じることはない。自分が恋人に求める役割はこれだから、こういうことは嫌だと伝えたい。みたいな。20代や三十路なりたての頃は、出会い系で見た目がタイプでそれなりに趣味や波長が合う感じがしそうな男と週一でご飯にいって(文字にすればほんとアホくさいわねwww)
減点法で、テメエのものさしで相手の魅力を引き算して(このものさし、自分の内面から来たものでなく、世間の枠にはめたいびつな自分のワガママね)二、三回会えば、いい方。多くはフェードアウト。だからお互い、価値観の違いでガチンコになる前に逃げるから、学ぶこともない。この頃はゲイの自分に誇りを持ちたくても、ゲイとしての人生の謳歌は、ノンケのそれに比べて、幼稚なのでは?とか勝手にコンプレックスを抱き、オネエ言葉を使うのを恥じていた。友達につられてオネエ言葉使ったりして、帰り道、これが職場で出たら、どうしよう!?だなんて真剣に悩んだり。アホくさ。
面白い出会いは、わたしは、いつだって二丁目にあったの。ホゲは恥ずかしいことでもなんでもないと教えてくれた親友。セックスにキレイも汚いもないと教えてくれた親友(セックスを楽しむ人を頭ごなしにヤリチンとバカにしてるのは、自分がセックスをもとに人を差別してると、その友達の奔放な性生活と矛盾しない人間性の素晴らしさを見て思ったわ)(ちなみにわたしはその彼とはやってないけど)(要らん情報ね)
ガチンコでお互いの価値観やワガママをさらけ出し合い、それでも離れずに居てくれる、今お付き合いしてる人もそう。
写真は、新宿三丁目、二丁目の真ん前。困った時の「呑者家(どんじゃか)」。この大衆的なかんじ、美味しいおつまみ、どれも最高だわ。何度行ってもリピートしたくなること確実。撮影は、友人。デート直後にキメキメのファッションで現れたのが可笑しくて、撮ってくれたわ。
分別がついていくということは、自分自身を理解すること。自分が当たり前と思ってることには、必ず自分の親や育ちから来る価値観、影響を受けた先生や友人、先輩後輩のことば、コンプレックスに歪んだ自分の心で判断する世の中のものさし、いろんな影響を分析しなければならない。その上で、自分が今求められてる役割をみつつ、自分が演じたい役割と折り合いをつけていきたい。多面体ゆえに、いろんな場面でいろんなこと考えるけど(とくに恋人との喧嘩においてとかww)それも苦痛ではないわ。それを乗り越えた先に、絆が生まれることを、学んでいるわ。
ごめんなさいねえ、こんなオカマの哲学なんて誰が聞きたいのかって話かしらwwwまあ、たまには、いいじゃん!!
人によっては、こんなこと子供のころから自明、なんて方もいらっしゃるでしょ。まあ、歩くスピードは人それぞれ、なのよねえ。自分のことって、ホント、わからない。他人という鏡を通してしか、わからない。だからいくつになっても、お勉強だわねえ。二丁目には時には、そんなお勉強になる出会いも、あったりするのよ。うふふ。
BGMは、こんなかんじ。クラムボンの、便箋歌。少し前のわたし、わたしから離れていった人たち、そして今ご縁がある人たちを思いながらこのブログを書いたわ。


