共通テスト 地理総合,地理探求の第5問の問6の地方都市は、山形県の鶴岡市です。鉄道や道路配置(高速道路・インターチェンジも)も一致します。第2問で津軽平野が出題されましたので、東北地方がよく出題されたことになります。かつて鶴岡から湯野浜温泉へは温泉鉄道があり、また近くにはかつて炭鉱があり、温海温泉は炭鉱で働く人の湯治湯でした。鉄道では、新潟駅で新幹線と平面移動で、鶴岡経由酒田行きの特急いなほに乗り換えることができます。かつて酒田へ行くときに、このルートを利用しました。東京0608とき0810新潟0823いなほ1107鶴岡です。またこのルートの単線新幹線化が検討されています。仙台や山形~鶴岡・酒田間の高速バスもあります。庄内空港もありますが、。全日空の東京便のみです。

 

 カリスマ進路日誌 第七十弾です。共通テストで災害が出題されました。以前に、人文・社会科学系の考察に、自然科学の知見が必要と指摘しました。勿論、反対に、自然科学から歴史、例えば日本史を語る場合に、人文・社会科学の知見も必要です。例えば、「自然災害が日本史に大きな影響を与えた」と指摘されることがありますが、今日と異なり、当時、正確な情報がどれほど正確に伝達されたでしょうか、「何かあったな」というぐらいで、広範囲の交流が活発で、それによって生活が成り立っている今日と異なり、論理的に、影響はいかがだったでしょうか。確かに、「飢饉」ともなれば、影響は甚大で、「定期的に大災害が起きた」ということでしょうが、今日と比べれば、「飢餓対策」「耐震対策」の不十分性ととらえることもできます。地震も、「被害の記述」から推察されたもので、今日と比べればいかがでしょうか。勿論、定期的、あるいは、周期的に災害が起きることは、知られているところであり、歴史も、定期的に、あるいは、周期的に変化しており、それらが「一致」することもあるでしょう。よく言われるのは、「長時間かかって変化の基礎的条件が成熟」したときに、「僅かなきっかけ」で、歴史が「転換」することがあるわけで、確かに「きっかけ」となったが、その前に定期的かつ周期的な「基礎的条件の積み重ね」があったことを指摘しなければならない。また、古代などを語るときに、「壊滅的被害」であったことは、「今日」では、長年の調査の積み重ねで明らかになったわけであるが、当時は、「壊滅したということは、伝達する人がいなくなった」ということでもあるわけです。大津波であれ「海岸形態」、火山噴火であれば「風向」が大きく影響するため、地震・津波学者、火山学者といっても、他の自然科学分野の指摘も必要です。よく歴史ドラマに登場するのが、1586年(天正13年)の天正地震です。天正地震の被害が大きかった(地震の震度が大きかった)のは、フォッサマグナの西、メジアンラインの内帯(北側)の南北に帯状に集中、フォッサマグナの東、メジアンラインの外帯(南側)は、距離的に近くで隣接しているにもかかわらず、被害は寡少、地震の震度は低かった。天正地震の前の、1570年(元亀元年)に徳川家康は三河岡崎城から遠江曳馬(浜松)城に入場、そこを拠点としていたために、他の武将と異なり、被害を免れたわけである。これは、断層による不連続性と地質構造の差異によるもので、地震の考察において、「断層は地震の原因」となるとともに、「地震の震度、被害の差異」に影響するという、「断層の二面性」に注目する必要があります。災害と歴史を語る場合、フォッサマグナやメジアンラインを抜きにして、語れないのです。代表例は、フォッサマグナを基礎として、日本は「西国」と「東国」に区分されました。時代と共に、その境界は、大きく西に移動し、さらには大きく東に移動しました。今日でも、西端は「関ヶ原」に代表される食文化の違いであり、有名カップ麺の境界として知られる。東端は富士川で、電源周波数の境界として知られる。かつて「尾張」と「三河」が東西の境界で、今日でも、愛知県内の境界として知られる。商業と米どころの「尾張」、農業でも水が乏しく、米以外の「三河」、そこから綿花栽培となり、自動織機を経て、自動車へと、「三河」だったからというわけです。「尾張」が「西国」の「おわり」であり、大河ドラマで登場した「桶狭間」は尾張で、東国の今川氏が西国に入って、「おわった」のであった。東国の武田・上杉の両氏も、西国の地(一部、国境地帯を除く)を領有することはなかった。特に、武田氏は、フォッサマグナを越えて遠江に入ったものの、メジアンライン上の三河長篠の地で一旦引き返し、その後に敗退した。メジアンラインをたどると、「聖地」が連続、ゼロ磁場で知られる分杭峠、鳳来寺山、豊川稲荷、伊勢神宮、高野山、紀三井寺、剣山、石鎚山、高千穂と「聖地」が連なる。なお、ここらあたりの話は、すでに『自然地域学』(2021年発刊)と『日本と世界の地域学』(2023年発刊)で詳しく述べています。要は、歴史を語る場合に、フォッサマグナやメジアンラインといった自然地域学の知見が必要であり、災害を語る場合は、人文・社会科学の知見が必要である。さらに言えば、人文(人間文化)を語る場合、社会(人間社会)の知見が必要である。典型例は歴史学で、法制史は法学部で、経済史は経済学部で、建築史は工学部建築学科で、自然史は理学部等で研究される。それは、それぞれ法学・経済学・建築学・自然学の知見が歴史研究の「基礎知見」となるからである。ところが、地理学は、政治地理学・経済地理学さらには自然地理学まで、文学部地理学科で研究される。ある意味「すごい」と、某経済史がご専門の先生から伺ったお話である。政治地理・経済地理・自然地理が「ご専門」の方々は、政治・経済・自然の「基礎知見」を学んでいますか、と指摘されることもあるかもしれません。例えば、「鉄道」ですが、路線決定の要因として、経済的要因(需要と供給など)と自然的要因(当時の技術で敷設可能か)が指摘されるが、法的に合致し、行政の許認可なしに鉄道の開設はできないわけで、政治・経済・自然のすべての知見が必要な典型例です。他の事象も、多面的な考察が必要です。実は、「安易に語れない」ということでしょう。続きは、また。

 

 カリスマ進路日誌 第六十九弾です。今回は、世界情勢から。「ベネズエラ」「西半球」が話題となっています。そして、「地政学」「地経学」という用語も登場しています。「地政学」は戦前からの歴史がありますが、「地経学」は、ワープロ変換でもすぐでないことがあり、極めて「最近」の「言葉」です。「地」の意味としては、「位置」を重視する「用語」のようです。よく、「地理的」という場合、「位置」を重視した「用法」として使われるようです。地理を「位置」「空間」「地図」として「考える」という発想のようですが、本来の地理学は、「自然環境と人間生活の相互関係」を解明する学問で、その手段として、「位置」「空間」「地図」という「発想」や「方法」を用います。「目的」と「手段」を「混同」している代表例です。その背景には、「相互関係」を指摘するには、「自然環境」と「人間生活」の両方の知見が必要で、「自然環境のみ」「人間生活のみ」を「位置」「空間」「地図」を用いれば、「地理的」と言えるとの思いがあるようです。「ベネズエラ」の次は「イラン」との話があります。この両者の共通点は「石油」です。そこから、「資源」の重要性が指摘されます。実は、そこまではよくある話で、目新しくありません。そこで、本来の地理学からすれば、共通点として、「新期造山帯」を指摘しなければなりません。ベネズエラは環太平洋造山帯(大西洋のカリブ海に面しているのに、環太平洋造山帯であるため、西インド諸島<これも大西洋なのに西インドです!>と共に、よく入試に出題されます)で安定陸塊のギアナ楯状地が南側にあり、プレートテクトニクスでは、南アメリカプレートがカリブ海プレートにぶつかる境界のオリノコ川流域、イランは、アルプス=ヒマラヤ造山帯(東南アジアのインドシナ半島や大スンダ列島まで入り、アトラス山脈と共に、よく入試に出題されます)で安定陸塊のアラブ楯状地が南西側にあり、プレートテクトニクスでは、イランプレートがアラビアプレートにぶつかる境界のペルシャ湾岸、石油だけでなく、資源に関しては、ここまで自然環境とその形成要因を指摘しなければなりません。勿論、「政治体制」その背景の「宗教」も考慮しなければなりません。社会条件として、「政治」「経済」「文化(宗教)」など、多様な要因があります。さらに、「共通点」は「資源」の「質」の問題です。すなわち、原油産出要因から、「不純物」や「重質」であることから、「精製」「処理」に技術と費用が掛かることとなります。いかに、「埋蔵量」が多いという「自然条件」があっても、「処理」と「輸送」、「輸出先」といった「社会条件」が整わなければ、「収入」になりません。地理学で指摘する「自然条件」と「社会条件」の両方が必要で、「資源がある」ということだけ考えて、「社会条件」を考えなければ、「資源の<呪い>」に陥ります。では、「質が良ければ大丈夫」かというと、残念ながらそうでもなく、「質が悪い=安い」ということがあり、「安い方が売れる」こととなります。良質の石炭は古期造山帯で産出、石炭の国内産出による蒸気機関の使用によって、産業革命が早期に実現できた国、いわゆる「大国」は古期造山帯が国内にある国です。反対に、比較的良質でない(炭化が進んでいない)石炭は、新期造山帯で産出しますが、技術の進歩による露天掘りによって大規模・安価に産出、輸出されて使用されます。これが、CO2排出の問題とつながっています。CO2排出に関しては、ここまで指摘しなければなりません。「質が良いから、生き残れる」とは限らないわけです。このように、「資源」、「鉱業」は、「自然条件(多様な)」と「社会条件(多様な)」の複雑な相互関係があり、「資源」「鉱業」が「専門」「詳しい」というならば、ここまで指摘しなければ、「専門」「詳しい」とは言えません。日本で「米不足」となって、「輸入」や「増産して余れば輸出したらいい」との話が出ました。ところが、「湿潤地域」という自然条件が大前提ですが、東南アジアや南アジアの国の中には、かつては「米不足(国内では米不足なのに貴重な外貨獲得のために輸出していた国もあった)」と指摘されたのが、古くから指摘された言葉に「緑の革命」があり、日本で米栽培の技術を学び、増産されて、国内での米不足を解消、輸出に積極的な国があります。さらに、「米の質の違い」もあったのですが、「日本の米に近い」品種も栽培されており、この点も考慮しなければなりません。農業だけでなく、水産業も他の国々で水産資源の需要増加による水産業の増加があり、農業は「陸」ですが、水産業は「海」のため、魚の「回遊」を考えれば、日本近海に達する魚が少なくなることがあります。水産業の水揚げの減少は、様々な要因がありますが、指摘しなければならないのは、「水産業者の減少」、そして、「過密養殖」(これが意外と指摘されない?)、で、リアス式海岸や島といった、地形を有効に活用した「水産業振興」「養殖振興」を考えなければなりません。第一次産業は、最初に誕生した産業であるとともに、「自然」を相手にする産業です。ちなみに、第二次・第三次は何か考えてください。これは、進路指導にも関わります。「自然」の知見なしに語れないわけです。「農業が専門(農業経済学?)」「水産業が専門(水産経済学?)」という方の、自然に関する知見と指摘はいかがでしょうか。以上から、「政治」「経済」「文化」といった「社会条件」のみならず、プレートテクトニクス・大地形といった地形・地質を含む、「自然条件」の指摘まであって、真の「専門家」「詳しい」と言えるかと思います。続きは、また。

 

 カリスマ進路日誌 第六十八弾です。まずは、「地震」の話題から。一部でいわれるのが、「地震は、いつ・どこで起きるかわからない」とのことですが、「いつ」に関しては、「季節・時間と周期」があります。「どこ」に関しては、プレート境界・活断層以外に、「過去に起きた地震の<間>、または<延長上>」です。このことは、『自然地域学』で指摘しているとともに、2024年1月の能登地震については、このブログの2023年5月で示唆しています。いつは「気温が変化する<下降もしくは上昇>」時期で、冬季に入るこの時期(勿論、他の季節に入る時期も)がそれに該当、福井地震と新潟地震の間の能登地震は勿論、八戸・島根などもそうですし、八戸は「間」、島根は福井地震・鳥取地震の「延長上」です。東北は、太平洋側だけでなく、日本海側にもプレート境界があり、東北の山脈はそれに沿って南北に、主山脈が三列に並び、その間に二つの盆地列があって都市が立地、その影響で鉄道では東北本線と奥羽本線が南北に走ります。山脈ができた経緯からも、程度は別にして、秋田の内陸等、地震が発生しても不思議ではありません。また、「地震発生」は「ひずみの解消」ですので、「被害が大きくならない程度の地震は、大きな地震の解消」という見方もあります。むしろ、「起きるべきところだが、周期が長いところは・・・」というわけです。「後出しじゃんけん」と言われないように、先に述べておきました。同様に、2026年入試です。前述しましたが、年内入試が終了、一般入試の出願・受験です。大きく言われているのは、「文系回帰」です。但し、「文系」といっても、「社会科学系」で「人文科学系」は減少しています。「教育系」「家政系」「医療系」も全体としては減少傾向で、「人文科学系」「教育系」「家政系」「医療系」は、女子大・元女子大に多く、かつては女子の進学先の代表例でした。但し、「外国語系」は直前に比べて増加、その理由は、コロナ禍で「外国語系」が大幅減となり、某大学は併願が多く、「表向きは2倍の競争率」と「表示」されるが、実感的には「一倍?」。いわばようやく戻してきたということと、受験科目をどんどん減らしていき、最後は「英語のみ」となり、「社会科」を減らした時点で、「社会科学系」の選択肢がなくなり、その結果、完全に「消去法」となって、「外国語系」のみとなるわけですが、その後の「就職」はいかがでしょうか。通訳案内士は地理・歴史の知識が必要、コンピューター上では、「翻訳機能」があり、それで海外とのメールもスムーズに行えます。スマホも多言語翻訳機能があって、実はインバウンド客が多い、新幹線や特急列車の車掌さんが最大限に活用しています。かつてと比べて(カリスマ進路部長は、かつて<高価な>翻訳シフトを使っていたが)、AIや学習機能により、翻訳精度は各段に向上しています。もはや、安全上は別にして、海外旅行は「通訳が要らない」とまで言われていますが・・・? このような、社会情勢、外国語学習でも「文学学習中心」ではいかがかなというわけです。「空港」「ホテル」等でも、外国語の必要性はいかがかな、というわけです。卒業生が出てから、その就職状況から、どうなるでしょうか。志願者減少から、この志願者減少分野で「募集定員削減」が行われていますが、それも「限界」があり、採算ラインの学生が集まらなければ「募集停止」となる可能性があります。そこで、「スクラップ&ビルド」が必要ですが、「新学部新設」と広告を出している大学(いかにも伸びているを演出?)は、実はこの「スクラップ&ビルド」で、「募集停止」「学部学科廃止」を表に出していないわけです。TVCMの大学を見ると、△.▽番手大学・〇番手大学・〇.▽番手大学、一部例外がありますが、〇番手大学を中心とした大学と指摘できます。この〇番手大学を中心としたところが、入学式を迎えると、大きな影響が出るでしょう。TVCMはそれを示しています。ただ、「文系回帰」に対して、理系を増設した大学は、TVCMには大きくは登場していません。沿線に街頭広告は出していますが。京都の某大学は、現在は新幹線の開通で乗り換えが必要ですが、かつては直通列車があった沿線に車内広告等を出しており、立地条件から「地元」からの「集学」は限界があるため、地方からの「集学」に力を入れ、「地方の相対的一番手・二番手大学」に影響を与えています。「理系」は「一応」受験生が集まり、延べ受験生から一定の競争がある場合でも、「実受験生」は減少傾向にあり、入学手続き、さらには近年の傾向で、3月末あたりに、入学者が少なくなることが見えてきて、「追加補欠合格」を多く出す(その結果、多くの不合格者が救われる)こととなり、入学式を迎えると「定員割れ」となります。よく言うのは、卒業生に、入学式での「入学者数」をカウントするように、とのお話です。これは、従来は「医療系」で顕著でしたが、「文系回帰」に反して「理系増設」を行ったため、「理系」でも顕著になるでしょう。もっとも、「情報系」と「農学系」は維持されており、「理系ぽい?」ところは「維持」されているようですが・・・。私立一番手校は、定員が充足されているために、学部学科増設が可能で、「まだ」増設しています。その結果、数十年前のレベルとは大きくかけ離れており、合格・入学可能性は各段に高まっています。それを「見抜いた」カリスマ進路部長のような進路指導を行っている高等学校は、「躍進」、当然と言えば当然ですが。勿論、定員の大幅増加に対して、人気あるいは有名企業側の採用人数には限界があり、「一番手校に行ったから就職は大丈夫」とは言えないこととなっています。高等学校には、「進路情報業者」とされる「広告会社」の人たちが来ます。大学等から費用を集め、高校生向けに「情報雑誌」を無料配布、あるいは、大学等から費用を集め、高等学校で無料の「進路講演会」を開催、といったことを行っています。カリスマ進路部長は、その出入りの人に、「学歴」を聞きます。一応、一番手校とされる某大学出身者が多く、口をそろえて、「一応、一番手校だが、就職は?」ということです。高等学校もそうですが、大学も、所管のHWに、卒業者数と就職者数・就職先(正規就職)を報告することとなっています。勿論、公表されるわけではありませんが、人数と比率はいかがかな、というわけです。大学発表とHW報告は? 某大学の人に、「就職状況はどう把握していますか」と聞いたところ、「卒業式に記入・提出させています」とのことでしたが、それでは「自主申告」で、「正規か・非正規か」あるいは、「そのとおりか」の確認ができないのではないか、と指摘したことがあります。某大学は、「キャリアセンター」に来た学生に対して、「非正規」を斡旋することがあり、その大学のパンフレットに、「キャリアセンターの紹介で」と掲載されていたことがありました。カリスマ進路部長は、同窓に「その大学から採用しているの」と聞くと、それは「期限付きの非正規だ」と聞いたことがありました。勿論、大学も本人も「満足」していることもあるでしょう。そして、就職の前に、単位取得・進級・卒業ができるかという問題があります。私大一番手校は、全体的には人数が多いため、どこまで指導ができるかという問題があり、勿論、二番手マンモス大学もそうで、コロナ明けの時に出席率が急上昇、立ち見が出て、リモート配信併用を迫られた大学がありました。受講者全員分の席がある教室を用意していなかったというわけです。出席を確認するといっても、受講生が3桁となれば事実上困難で、学生証をICカードとしてそれを教室で「読み取る」といい方法もありますが、それでは〇〇されるわけです。勿論、いい話ではありません。大阪府の高等学校社会科教員採用試験では、「地歴科」と「公民科」の教員免許両方が必要ですが(高等学校では、従来どおり、「社会科」で対応)、某マンモス二番手大学から教育実習できた際に、「公民科」のみだったので、「地歴科」も受験に必要と指摘、「教職一本」だったのが、急遽、民間企業に変更せざるを得なかった事例があります。その某マンモス二番手大学は、学部以外に、「教職課程」部門を設置しているはずなのに、現実とかけ離れた指導している典型例です。そこの教員は「〇〇教育」が専門とされているようですが・・・。このように、入試の易化もありますが、就職指導などにも、様々な課題があるでしょう。続きは、また。