富士山・身延方面へ行ってきました。梅雨が明け、猛暑が続くので、少しでも「涼しい」ところということです。
7月21日(日):新大阪0739のぞみ0947新横浜0957横浜線1044八王子1102特急富士回遊15号1214富士山駅、日曜日のためか、全席指定の「富士回遊」は満席、デッキに座り込む人も。JR中央線大月までは、特急らしい走り、大月駅を出発後、富士山麓鐵道富士急線と少し並走したのち、富士急線に乗り入れ、一気に、小刻みの線路の継ぎ目音、ゆっくりと?走る。富士山駅下車、駅ビルのレストランで昼食、タクシーで忍野八海へ、入場無料、多数の車、勿論、超混雑、中語が飛び交う。土産物店の湧水を求めて、長蛇の列。湧水には硬貨を投げないようにとの注意書きがあるが、多数の硬貨。透明度が高く、魚が泳ぐ。河口湖音楽の森の美術館へ、旧オルゴール美術館、壁面いっぱいのパイプオルガン演奏、砂絵とバイオリン・ピアノ演奏、自動演奏楽器とオペラ上演、売店で土産購入、富士河口湖RHへ、夕食はバイキング、各種総菜以外、刺身、冷やし中華など。温泉・露天風呂など。中の団体客多数。
7月22日:朝食もバイキング、比較的サラダが充実、河口湖駅へ送迎、河口湖駅で旧電車など撮影、富士山がきれいに見える。朝からインバウンドを中心に、超多数の観光客でごった返す。「まさしく拠点」。富士急線で富士山駅へ、コインロッカーに荷物を預け、バス乗車券を購入、路線バスで富士山五合目へ、富士山駅からは一桁台の乗車客だったが、河口湖駅では超多数の乗車客の列、臨時バスを出してまず出発、路線バスに残りの客を乗せて、勿論、満員で出発。1時間かけて、富士山五合目へ。勿論、富士登山客を含めて、超大量の観光客。まずは、山梨県側五合目富士山登山口で、記念撮影、勿論、入山料徴収となった。日付看板の前で記念撮影、神社参拝・朱印受領、土産物店上の展望デッキで記念撮影、富士山がきれいに見える。売店でお土産購入、下山バス乗車、五合目滞在は約1時間。多くは河口湖駅下車、富士山駅下車、駅ビル地下で、吉田のうどんの「富士山うどん」で昼食、ボリュームがある。昼には、富士山山頂付近には雲がかかる。土産物購入、荷物を取って、タクシーで北原ミュージアムへ、「しあわせなおもちゃたち」、撮影は自由とのこと。海外のおもちゃ、昭和のおもちゃ、勿論、ブリキのおもちゃなどが並ぶ。鳴沢氷穴へ、洞内はかなり狭く、実に気温は0°まで下がり、洞内には「氷」が。続いて、富岳風穴へ、勿論、かなり涼しい。いずれも、猛暑に一時の冷気。下部温泉へ、駅から線路沿いの温泉旅館Uへ、いかにも、昭和の温泉旅館、昭和30年代建築とのこと。離れの一室へ。夕食は部屋食、先付、刺身、豆乳鍋、てんぷら、デザートなど、比較的ボリュームがある。部屋数が少なく、温泉もこじんまりとした作り。夕立、電車の音、と言っても、基本的には「静か」。テレビニュースでは、「新幹線不通」のニュース。浜松~名古屋間が終日運休。事故区間は、豊橋~三河安城間だが、豊橋と三河安城ともに、折り返しができないためか、折り返しができれば不通区間が短縮されたが。特に豊橋で折り返しができれば、豊橋~名古屋間は名鉄もあり、在来線も新快速があるので、代替はかなり可能。浜松~豊橋間が、在来線の列車の本数が少なく、「在来線乗車への規制」が行われるという、異例の事態に。なお不通区間は、在来線は丘陵の狭隘部を通過しているが、新幹線は丘陵部を登り、トンネルをできるだけ短くして建設した部分、比較的勾配がある区間。ちなみに、迂回路は、在来線では、「中央線あずさとしなの利用で、東京(新宿)~塩尻~名古屋間」、「北陸新幹線東京~敦賀、敦賀~大阪サンダーバード」などです。飛行機も東京~大阪直行便は満席なので、遠回りだが、福岡経由が比較的所要時間が短い。
7月23日:朝ぶろ入浴、朝食も部屋食、比較的ボリュームがある。タクシーで、七面山登り口へ、索道も見学。身延山本堂横まで乗車。奥の院ロープウェイ乗車、奥の院へ、朱印受領、滞在約1時間。本堂へ、朱印受領。ほぼ南に向けた非常に急な階段を降りる、見上げると壮観、絶妙の階段と伽藍配置の地形を活用して「典型的な寺院と門前町形成」、三門を経て、門前町を歩く、土産物屋さん以外、仏具店も。バス停までが、店が多い。総門までは集落はあるが、店はなくなる。バス乗車、10分程度で身延駅へ。駅前のレストランで、飲み物とサンドイッチの昼食。食事メニューが豊富。駅前の土産物店で土産購入。身延1530特急ふじかわ1658静岡1707ひかり1857新大阪。「特急ふじかわ」は、身延線内は比較的低速運転、富士駅でスイッチバック、渡線を渡り、東海道線に入り、特急らしい高速運転。身延線は昭和初期開通、随時開通・電化、戦時期に買収、富士駅へはもともと東京方面方から乗り入れていたが、約50年前に新線建設、乗入方向が反対方向になり、静岡行きがスイッチバックに。これは、東京方面からスイッチバックせずに富士宮まで行けるようにしたもの。かつては、東京方面から団体列車が多数運転され、富士宮駅には団体専用のホームが設置された。現在は、団体臨時列車はほとんど運行されず、富士宮駅の団体専用ホームはほとんど使用されず、富士駅のスイッチバックだけが残ることとなった。