本稿は、青銭兵六 著「機動戦士ガンダムPseudepigrapha」(ガンダム二次創作)の感想文です。

 

 

 日本史の近・現代史に関心がある方なら、「限定戦争」という概念には馴染みがあるに違いない。言葉そのものには触れたことがなくても、定義を知れば、「ああ」と思い当たる戦争がすぐに出てくるはずだ。
 限定戦争とは、『敵の殲滅によって戦争を終わらせる戦争ではなく、より限定的な目標を達成することを勝利とした戦争である。』
 成功したかは別として、すくなくとも、日露戦争と太平洋戦争は、限定戦争であったと考えられる。
 どちらも、前者はロシア、後者はアメリカの本土に進撃することによって戦争を終わらせることを企図してはいなかった。

 限定的な目標を達すればいいのだから、限定戦争は「殲滅戦争」よりも「簡単」だろうと思われたなら、それは間違いである。限定戦争を行う国には戦争目的を限定せざるを得ない理由があり、じつのところその理由が事態をさらにややこしくするのだ。

 前置きが長くなってしまった。
 この文章は、青銭兵六さんの「機動戦士ガンダムPseudepigrapha」の感想文である。pseudepigraphaは、「偽典」の意味であり、「これは正典ではありませんよ」というのが作者自身の意思表示である。

 本作において、いわゆる「正典」に登場するアムロやシャアのような「ニュータイプ」は登場しない。と、いうよりは「偽典」として、「『正典』で描かれる歴史とは似て非なる、分岐した歴史」のその後の話である。シャアは一年戦争の序盤で諸事情で亡くなったことになっているし、アムロに至っては映画の登場人物であり、実在していない、という設定になっている。
 本作の巻末には、「これまでの歴史」が簡単に語りなおされているが、そこにも「ニュータイプ」の活躍はない。
 あくまでも宇宙に出た人類と地球人類との戦争を描く、というスタンスになっている。

 本作には特定の主人公はいない。複数の『よく登場する人物』は存在するが、不意に戦死したりしてそれ以降登場しなくなる。読者はほかの登場人物や、これまで名前だけが出てきていて、死者の後任になった人物に注目して物語を読み進めていくことになる。
 群像劇と表現してもいいが、どちらかというと、『主人公は今回の戦争そのもの』と解釈した方がより興味深く読み進められるのではないだろうか。


 一度動き出した『戦争』は、個人のコントロールを離れて、さまざまなひとびとの思惑で動き出す。

 これが殲滅戦争なら、ある意味で話は簡単なのだ。相手、あるいは自己の消滅をもって……すなわち『敵国の継戦能力の消失』あるいは『自国の継戦能力の消失』によって、戦争は『終わらざるを得ない』。
 限定戦争の難しさは、自国が勝ちを得ていて、敵国もいまだ継戦能力を失っていない状態で、開戦を企図した者の思惑に沿うように自他共に抱える別の思惑と交渉し、あるいはねじ伏せて『終戦』に持ち込まねばならないところにある。


 本作は、個々の戦場の雄壮と悲惨、兵士や指揮官の犠牲と保身、綿密な計画に基づく成功と逃れがたい失敗を描きつつ、次第に企図した者の手の内を離れてゆく『戦争』を描いている。
 この準備から過程、結末に至るまでの個々の会戦、戦闘の様子もまた興味深く、現在11巻まで発刊された各巻に見所が用意され、これらの会戦・戦闘については、単巻で結末が分かるようになっている。
 そしてそれらの会戦・戦闘を生みだし、その結果をもって『成長』してゆく『戦争』の不気味さ、一種、機械的に人々を巻き込んでいくその悍ましさに目が離せない。

 一読者である私が「限定戦争」としてすぐに思い浮かべたのが「第四次中東戦争」である。
 雑駁なまとめ方をすれば、急死したナセル大統領のあとを継いだエジプトのサダト大統領が、『長年(実際、戦闘状態であるかどうかは別にして)戦争状態にあったイスラエルと和平要約を結ぶ』ことを企図して始めた戦争である。目的は達成され、アラブの盟主として軍拡に喘いでいたエジプト経済は息を吹き返した。
 しかし、長年の敵国と和平を結び、親ソからアメリカ寄りに乗り換えたサダト大統領は、暗殺される。
 この意味でも「限定戦争」は難しい。
 思惑が達成され、おそらくはそれが国家百年の計(現代は政治・経済・軍事の流れが速いので三十年の計くらいになってしまいそうだが)に必要であっても、その意図がこれまでのその国の「常識」とかけ離れているがために国内に敵を作る可能性が高いのだ。

 本作は10巻目にして大きな転機を迎え、『戦争』は開戦を企図した者の意志を離れておおきく変容する兆しを見せ始めた。戦闘も陰惨の度合いを増す。
 作中の要所で太平洋戦争の大日本帝国海軍のエピソードを思わせるシーンを挟んでくる作者のことである。限定戦争を効果的に終わらせることのできなかった当時の日本の状況も、終戦には持ち込めたものの、その後の経緯から社会が不穏になった日露戦争についても、意識の内にあるだろう。

 私もお恥ずかしながら実際はそうだったのだが、「機動戦士ガンダムの二次創作」だとして読むのを敬遠するのは勿体ない。

(言い訳をさせて貰えば、ガンダムは履修している作品数が少なくて、話について行けないのではないかと危惧していたのである)


 この『戦争』がどのような結末を迎えるのか、目が離せない。