ピアノ教師として約30年間の経験と今年、自宅にサロンを持ったことから、30年ぶりに下手ながらも演奏を再開しました。
地球上に存在する全ての物事は宇宙からの産物であり、基本的に直線は存在しないと思う。まるで弧を描くように曲線の世界。音楽も同じ。
キーシンの素晴らしい演奏。
歌う音には、音そのものがまるで生きているかのごとく強い意志が存在する。意志のない音は美しいとしても、物理的に美しく鳴っているだけに過ぎず、なんだか空っぽの空虚な音に感じられる。弦楽器のヴィブラートのようなイメージの音というものがピアノでも出せるのだ。
昨今のモスクワ音楽院をはじめとするロシア人の演奏のレベルの低下を感じる。昔のソヴィエト時代の演奏家はもっと音に魅力があったと思う。ペレストロイカは質の低下をもたらしたのかもしれない。なんだか寂しいなぁ。
生徒たちの大半は自分が何をやっているのか?どうやって弾いているのか?自分で自分を観察していないと思う。なんで客観的になれないのか?それができなければ、弾けるようにならないし、自分の音も聴こえるようにならないのかもしれない。
長年の経験から演奏を少し聴けば、その人の将来、どこまでの演奏ができるようになるか?はおおよそ見当がついてしまう。言い換えるならば、伸びしろがどれだけあるかがわかってしまう。でも、奏法を変えることによって、その予想が良い意味で覆されたことが少なからずあるのだ。嬉しい誤算と言える。
人はなんでも自由にやれる。自由にやっている人に嫉妬心からか自信のなさからか、とやかく言う人がいる。そんなの意識していたら自分らしく生きることはできない。とにかく世間はうるさいものだ。勇気を持って寛容な気持ちで今日もピアノに向かおう。
生徒の演奏を聴いていてとてもいいのだけど違和感を感じることがある。なんだろう?なんだろう?なんだろう?とずっと考えていて、やっと思い当たった。それは教養がないと言える。はっきり言って人としての教養だと思う。どんなに知識があっても教養がないと思う人がいる。残念だな。
カプースチンを聴いていて思う。連打の時にエネルギーが下に向かうと音やリズムが詰まってしまう。エネルギーは前方に向けなければならない。いわゆる、抜けなくてはならない。