20世紀前半と後半の演奏美学は異なると感じる。最近、ホロ ヴィッツ、ホフマン、コルトー、ナイ、コチャルスキ、フリードマンなどの古い録音の演奏を毎日聴いていて、それを肌で感じるようになった。現代の人の感覚からすれば、んー?何だか楽譜と違うぞ?と思う人は多くいるのかもしれない。行っていることだけに注目すると、そのように聴こえても仕方がない。でも、実は、どちらも真摯に作曲家に寄り添っていると思う。その寄り添い方が違うだけ。だから、楽譜に書いてある情報の受け取り方が違うとも言える。それに加えるならば、現代の人の演奏美学には、心のどこかで上手く弾くことが念頭にあると思う。先ずはきちんと上手く弾くことが、演奏の中の優先順位の上位にある。もちろん昔の人も上手いのだけれど、何をもって上手いのかが違うと思う。それは、音をミスすることより、音楽をミスすることの方を重く捉えているように感じる。先ずはきちんと上手く弾くことより、先ずは美しい音や音楽がなければならなかった時代とも言いたい。