水曜日のコンサート、名古屋から何人かのお客様がいらして下さり本当にありがたいことだと感謝。
リハーサルに5時間かかって、本番2時間超えたから、本当に疲れてしまい、今日は一日中寝ていた。
モーツァルトのアダージョ、ラヴェルの夜のガスパール、シューマンの交響的練習曲遺作付きとヘビーな内容プラス、アンコールにシューマンのウィーンの謝肉祭の道化より間奏曲、R・シュトラウス=レーガーのモルゲン!、バッハのフランス組曲第5番よりサラバンド。
自分でもよく弾いたと思う。
で、リハーサルに何故5時間もかかったか?
弾き始めで、テクニカルなことでふと気がついた事があり、全部の曲を、それで練習し直したから。
これ、思いついてしまったから、やらずにはいられなくなり、当日にもかかわらず、全部やり直した。
で、ふと思うのは、多くの新しい事は、僕の場合、考えた末ではなく、ふと浮かんでくる。つまり、頭を柔軟に保っていなければ、そんな奇跡的なことは起きない。これが、僕の今までのピアノ人生に於いての実感。つまりは、そのようなことに限らず、音楽上の気付きも、やはり頭を柔軟にしていないとと思う。理屈ではなく、感じられることなんだと思う。例えばハーモニー。理屈で捉えているだけでは、感じているとは言えない。感じなければ、そのハーモニーの表現が出来ないと経験から思う。若い頃は、どうしても頭を使いたがったから、そこまで感じないで演奏していたと思う。例えば、ひとつの作品の中に100の宝が存在していたとして、若い頃は100のうち、せいぜい20くらいしか、宝の存在に気づかなかった。考えなければならないことは確かにあるのだけれど、考えて出たことは、例えば机上の空論に過ぎなかったりするので、実際の演奏には役立たなかったり、表現し切れなかったりするように思う。それは、演奏だけではなく、日常の全ての物事にも通じると思う。