【つぶやき】
本日のレッスンを振り返ってみて、改めて思っていること書いてみます。
ある生徒さんがブラームスの後期の作品を持って来て、8階サロンのNYスタインウェイでレッスンをしていました。楽器自体が作られたのは1904年、ブラームスが亡くなって約7年後に当たりますので、当時のブラームスも知っている音であろうと思います。サロンにいらしたことがある方はご存知ですが、120年前に作られた楽器は、もちろん、120年前の材料で作られたわけですから、現代の新しい楽器とは異なります。その音が、当時のブラームスが聴いていた音だと思うと、時空を超えてタイムスリップしてしまう感覚になります。実際にはブラームスは、ウィーンにいて、楽器はニューヨークですから、場所は違いますが、何となく120年前のウィーンやニューヨークを思い浮かべてしまいます。これは過去を見つめることであり、それは当然のように演奏する上で必要です。そこで、僕は思うのですが、そのレッスンを撮影はしませんでしたが、もし、撮影してYoutubeに掲載したとすれば、おそらく、120年前に対して、120年後の人が観ることになることを想像した時に、120年前の人は、こう言うふうに弾いていたのだと思うことになります。120年前から120年後までで少なくとも240年になりますね。仮にバッハから数えたとしたら、300年前として、120年後までで計算すると420年と言う長い月日になります。僕は、個人的な考えですが、演奏というのは、今現在を境に、過去へも、そして未来へもイメージして捉えるべきだと考えています。すなわち、再現芸術と呼ばれていますが、それは過去だけを見ている言葉として受け止めているので、再現芸術という言葉に違和感があります。やはり、未来へ向けて、新しく創造していく、クリエイティブな面も必要と考えています。ですから、仮に120年後まで含めて捉えた場合、420年分の月日をイメージした演奏の解釈をするようになりました。ですから、もちろん、過去だけ考えても、その時代により、作品や演奏のスタイルは異なりますが、その時代の枠を超えて、音楽をとらえている感覚ですので、どの時代の要素も含めた感覚が私たちの中には存在し、それは、どんなに排除しようとしても絶対に排除できない感覚なのではないでしょうか?私たちの演奏の中には、無意義のうちに、現代の他のジャンルの音楽の感覚も存在しているのは揺るぎないことであり、広くはそれも含めた演奏が、自分にとっての自然な感覚だと思います。それに加えて、未来がどうなっているのかはわかりませんが、未来を想像して、未来に向けての意識も、どこかに含めた感覚であり、少なくても何百年という月日が凝縮された感覚で演奏はあるべきだと思うようになりました。考え方は多種多様ですが、僕は、僕にとっての自然な感覚、自分にとって嘘のない感覚、すなわち、時代に囚われない感覚とも言えますし、全てをミックスした感覚で弾きたいと思うようになりました。