おはようございます。
昨夜の比嘉君のコンサート。特に第二部に於いての演奏。ドビュッシーの最初の一音が始まった途端、僕の中に何か特別な何かであることを感じました。その後のクルターク、ベリオ、西村朗と一瞬足りとも僕の意識は彼の紡ぎ出す響き、音楽から離れることがありませんでした。こんなに特別な演奏は滅多にない出逢えるものではないと思いました。技術的な観点から思うに、第一部での演奏と第二部での演奏は、全く別物で、そこには肩周りの脱力に鍵があるように感じました。その差は歴然であり、同じ楽器であって、全く同じ楽器ではないと思わせられました。第一部ももちろん良かったのですが、第二部では良かったというレベルではなく、とんでもなく物凄い物を聴いてしまったと感じさせる無限に存在する色彩がありました。音楽的には、彼の深い深い音楽に向き合う思考と感性が存分に感じられ、それが満ち溢れていました。それは日々の、また、これまでの10年に及ぶ積み上げてきた研鑽の賜物であることは間違いなく、そこには一音一音の全てに意味が確実に存在し、溶けてしまいそうな究極の柔らかさ、現生にいるのか?それとも来世いにいるのかわからなくなってしまうほど抽象の世界に引き込まれ、そして、それとは対照的な切れ味の鋭いタッチも含め、多種多様な表現が止めどもなく表せられ、自分の存在が全くなくなるほどでした。
これは僕個人の嘘偽りない感想であり、一晩明けた今も僕の頭から離れず、幸せに満たされています。
リンクしたYoutubeは、記録に過ぎず、実際の演奏の魅力の片鱗を垣間見る程度です。にもかかわらず、いらっしゃれなかった皆様に、少しでもお伝えしたい衝動に駆られ、こうして敢えて、ここに記しています。
残念ながら、拙宅サロンに於いての全てのコンサートに立ち会うことは、体が一つしかないので、不可能ではありますが、コンサートをされる皆様が、素晴らしい演奏に至ることを願っております。
改めまして、部屋も楽器の一部であると思いましたし、そのような部屋ができて、皆様と共有できる、喜びを共有できる空間となりましたこと、改めて感じております。
ヨーロッパを思わせるような響きの空間は、日本の一般的な部屋での響きとは全く異なり、演奏に於いて、音のどこを聴くのかは、おそらく異なるのは自然なことであり、その部屋の空間で、しかも100年以上前の木で作られた楽器を弾く、聴く体験は、特別なものであると思いました。