私はなぜ、こんなにもウィーンに惹かれるのか?と今、リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」を聴きながら思う。オーストリアに住んではいたが、ウィーンではなくザルツブルクにもかかわらず。今回の発表会もベーゼンドルファーの280VCをわざわざ会場に運び込む。そして毎日、家ではベーゼンドルファーの280VCを弾き、寝室のスピーカーもヴィエナ・アコースティックで聴いている。いくらオーストリアに住んでいたとは言え、ここまでになるとは思わなかった。ベーゼンドルファーを弾いていると、ウィーンの伝統や歴史を思うことが出来る。音楽の都と昔から言われ、多くの音楽家にとっての中心地であった。オーストリアに留学したのは、ドイツ語圏であっても、ドイツはなんとなく違う、オーストリアだと感じただけのこと。そして、なぜ、ザルツブルクに住んだのかは、今となっては、よくわからない。ウィーンやザルツブルク、つまりオーストリアの何が私を魅了するのか?あまりにもそれは多く、私にとって当たり前になってしまっているので、なんだかわからなくなってしまったようだ。スタインウェイが普通の存在だったのが、今はベーゼンドルファーが普通になってしまった。私にとってスタインウェイは、もう卒業なのかも知れないと思ってしまうほど。人の感覚というのは、いかようにも変化する。それは自分次第である。
ウィーンに囲まれている毎日。それが当たり前になった生活は、私の音楽や演奏にも何らかの影響があるに違いない。初めてウィーンに行った時のカフェのピアノの生演奏からウィーン国立歌劇場でオペラを観たことから、ウィーンの多く思い出す。ある、のどかな日曜日、ウィーンの郊外のある音楽一家に招かれ、手作りの昼食をいただき、暖かさに触れたことも、私にとっては良い思い出のひとつ。赤と白に塗られたシュトラッセンバーン、日本語で出てこないが、それさえも懐かしい。もう何十年もウィーンには行っていないが、今の毎日がウィーンに彩られた毎日になり思うのは、私の音楽の根源が、実はウィーンだったのか!と。