随分昔に購入してあった、グレゴリー・ソコロフの弾く、ベートーヴェンのディアベリ変奏曲を今、朝の4時から聴いた。手に入れた当初、出だしだけ聴いただけで、理解不能で直ぐに聴くのをやめたので、今まで聴いていなかった。おそらく20年以上経っているはず。で昨日まで内田光子さんの演奏でばかり聴いていたので、その相違に戸惑いつつも私の頭の中で、さまざま思いが巡り、異なる印象が残った。
ソコロフの演奏も、内田光子さんとは違う手法でベートーヴェンの宇宙を具現化していた。その美点は、まずロシア特有の滑らかなレガートの響きで最初の一音から最後の一音まで、弾き通されていた。徹底され磨き抜かれた美しい響き、さまざまな音色を駆使していた。倍音豊かであった。それは、オーケストラ的とも言える響きの共鳴感、まとまりを感じさせ、それにより、やはり宇宙を描いていた。知的な哲学も感じられ、やはり物凄い域の、しかもライブ録音でありながらも、寸分の危うさもない堂々たるベートーヴェンだった。おそらく生で聴いたらその響きは荘厳であり、圧倒されるに違いない。ピアノをどれだけオーケストラのように響かせることができるのか?という意味で現存するピアニストの中では、群を抜いてトップレベルに君臨すると思う。尋常ならざる域に到達した演奏と言えるだろう。ただ、ドイツ語の持つ響きやリズムとは異なり、まるでベートーヴェンがドイツ語ではないもっと当たりの柔らかい滑らかな言語で話していたように感じたのも否めない。その点ではウィーン育ちの内田光子さんの方に軍配が上がる。内田光子さんの演奏には、滑らかではないドイツ語特有の強い当たりがあるのだ。余談だが、私が英語を話すと、生徒達にまるでドイツ語を聞いているようだと大笑いされるのだが、そのような類の言語と音楽の関係性を考えさせられた。おそらく、ソコロフもドイツ語は話すのだろうが、まるで、ドイツ語を知らない人のような演奏に聴こえてくるのは興味深い。敢えて、彼ならば、そうしているのだろうと察する。深い深い思考の末の結論であろう。
総じて、両者の演奏には、そういう違いを感じたが、甲乙つけ難い演奏と言える。もっとも、本来、ある一定の高い水準の演奏の芸術に甲乙などと考えること自体がナンセンスではあるが。
両者共に素晴らしい演奏と強く強く述べた上で、私個人の趣向ではあるが、驚かれる方もいるだろうが、ロシア的な、あり得ないほど美しいソコロフを認めつつ、感覚的に内田光子さんをとる。もし、以前の私だったらソコロフをとっただろうが、私も紆余曲折を経て、現在の考え、感覚に至っている。それにしても、早朝4時から音楽を聴くのは、私にとって非常に喜ばしいことで、まだ、辺りが寝ていてシーンしていて、陽も登っていないし、私自身も頭が冴えた状態ゆえ、とても集中して聴くことができ、1日のスタートととして、なんとも良い気分になるのだ。