日本語は難しい。まあ、何語であれ難しいのだが。で、正しい日本語というのがあるだろし、だろうしというのは、私は正しい日本語は書けないと自分で認めているから。でも、何事も正しいことが、すなわち良いのだろうか?と思う。私は私がこのブログで書いている文章を正しく書くことよりも、自分らしさを出したいと思っている。作家の吉本ばななさんもエッセイの中で書いていらしたが、文法がまちがっていると指摘されても、直さないと。直してしまったら、自分の言葉ではなくなってしまうし、自分の個性が失われるからと。
演奏も同じだ。
正しい演奏が良いとは思わない。正しく演奏することを無意識のうちに目標としてはならないと思う。
自分らしさや言いたい内容が印象に残らないと感じる。
多少の誤りがあったとしても、文章にせよ、演奏には、何かのインパクトがあるべきで、それが、読む人や聴く人の心に残ると感じる。
しつこいようだが、私は私のこのブログで、まるで即興演奏のように、サラサラと書いている。考えながら書いてはいないし、基本的に読み返さない。だからミスもあるだろう。話す時と同じつもりで感覚的に書いている。もし、私が大脳を使って、考えて考えながら書いていたら、多分、もっと違う印象になるだろう。でも、それは私らしく無くなってしまう気がする。例えば、CDもライブ録音の方がミスはあっても生きている演奏に感じるわけで、同じことだと思う。
バシキーロフ先生はドイツ語でレッスンしていたが、正しくはゲヌークと発音するべきところを、ゲノホといつも仰っていた。ヨッフェ先生もハルモニーと言うべきところを、いつもガルモニーと仰る。味があっていいではないか。それぞれの先生らしさが伝わってくるのだ。
正しいのは、もちろんだが、それはそれであって、考え方によっては、また、場所によって、人によって、正しいことが異なるのが自然だと思う。