何の世界でも、私は下積みの時代が必要だと思う。もしかしたら、ずっと下積みが続き下積みのまま世に出ないかも知れない。例えばポリーニ。彼はショパン国際ピアノコンクールで優勝したあと、10年間ステージから遠ざかった時期があった。ワイセンベルクも自己を見つめるため、長らく引退した時期があった。あのホロヴィッツだって引退していた時期があった。そのような名だたる大家と同じとはおこがましくて言えないが、私は3年前に拙著を上梓、その時が社会的デビューだったのかも知れない。つまり53歳になるまで下積みだった。だから今の境地に至ることができたと感じる。
それに対して、若い頃から商業的ピアニストととして活躍する人もいる。確かにそういう人のおかげでクラシック音楽が身近な存在になり、そういう人もいなくてはならない。その人の役目とも言えるだろう。このことは過去のブログにもしっかり書いたと記憶している。
ただ、私の考えは、何を言われようと変わらないのだが、そのようなピアニストが真の芸術家の域に到達できるかは未知の世界だと思う。
私は若い頃、国際ピアノコンクールでメダルをもらえたが、その勢いに乗って演奏活動をすることより、メダルをいただく前の自分といただいた自分の実力は何も変わらないことに、メダルをもらったから気づいた。それはそれは大きなショックであった。そこから大学も辞めて、自宅の練習室に一年近くこもって、ひたすら音楽書を読んだり、知らなかった特にオペラを聴きまくって過ごしていた。ドイツ語も勉強し、ドイツリートも聴きまくった。なぜなら、自分の演奏が、メダルをいただけたとしても、アルゲリッチやホロヴィッツには程遠い実力だと思ったから。こう言っては何だが、メダルをいただけたから、わかったことだ。それは経験者にしかわからない気持ちだと思う。私が思う理想の芸術家というのは、そういうものだ。もちろん、同意しない人がいていい。それはその人の考えで、共感されなくてもいい。別に私のことに限らず、当事者にしかわからないこと、経験しなければわからないことは沢山あるものだ。改めて考えさせられた。