この間、ヨッフェ先生が来日されたおり、表参道を歩いている人々を称して、「フェラーリピープル」とおっしゃっていた。外国人であるヨッフェ先生から見ても、表参道を闊歩している人々はそのように見えるらしい。私も表参道を歩くたびに同じ事を思っていたので笑ってしまった。何というか、「俺は勝ち組だぜ」みたいな自意識過剰な人種が大勢いるような空気感を感じて、なんだか居心地の悪さを感じて、とにかく落ち着かないのだ。プッチンプリンを愛する庶民の私には息苦しささえ感じる。
昨日、友人である、こちらは庶民とは程遠い俳優の石丸幹ニと話したが、「君は庶民じゃないよ!」と笑われた。いやいや、私は庶民であると、芸術家は庶民の感覚を大切にしなければならないと心底思うのだ。一万円はあくまでも一万円であって、決して千円ではない。
で、最近思うのは、ちょうど石丸とも話題になったが、彼が司会をしている「題名のない音楽会」に出演するような、華々しい活躍をしているピアニストたちはもとより、若い人たちは何処へ向かって歩んでいるのだろうかと。(石丸が出演者に対して、そのような事を言っていたわけではないが)
「芸術家は地味でなきゃ」と言っていた邦楽の演奏家だった亡き叔母の言葉にもあるように、華やかな、まるで社交界にでもいるようなステージピアニストになりたくてコンクールを受けまくっている人はなぜなのか?と。
芸術をすることの本質はそんなことではないということがわかっていない若者。また、その親。
フェラーリピープルなピアニストは確かにピアニストだけれども、芸術家ではないと感じる。