非常にとりとめもないことなのだが、ふと感じた。それは、いつも不思議な感覚であり、場合によっては、何か居心地の悪い思いをする。

それは、「つかみどころのない」という言葉がしっくりくる何かだ。この言葉は思うに実に便利な表現だと改めて思うのだが、つかみどころのない人、つかみどころのない本、つかみどころのない演奏など、挙げればきりがない。実は世の中には、つかみどころのない物事で溢れているのだ。意識しなければ気にも留めない些細なことかもしれないし、あくまでも自分にとってなのだが。
思うに、というか、感じるのだが、そういう物事と自分の波動が合わないのがいちばんの原因なのではないかと推察している。
大半の人から称賛されている映画作品や巨匠と呼ばれる演奏家、ミシュランで良い評価を受けているレストラン。それらが、自分にとってはなんともない、もしくは、そう悪くはないがつかみどころのないと言える場合はあるはず。先に述べた、要するに波動の違いなのではないか?
そこで思うのは、自分に正直でいたい、いるべきだということ。他人の意見に惑わされず、自分の感覚に正直な判断をするということ。特に日本人は大多数の意見にのまれやすいのだから。

悪くはないが、つかみどころのない存在は、とりあえず、自分の中で保留にするか消し去るかして、他人の目を気にするあまり、それを称賛しなくてもいいのだ。
私にとって、世間から神々しい目で見られている大演奏家であっても、それに値しないと思う存在はいるし、その逆もまたしかり。

どこに良さがあるのかさっぱりわからない、つかみどころのない存在なのだ。