私はだんだん向田邦子のようになってきた感が否めない。昭和を懐かしんだり、時には自虐的だったり。呟き始めて早10年近くになる。ピアノ教師が本業なのだが、これではまるでエッセイストのようだ。正直なところ、自分の日本語はごくごく一般レベルの力かそれ以下だと思っているが、とにかく書く、とにかく書くと、ある作家の言葉を信じて、とにかく書いている。

まあ、ピアニストがとにかく弾き続けることが肝心と思っていることと同じではないか。

で、唐突にやはり昔を思い出すのだが、ヨーロッパの田舎?と言っては失礼だが、そんな所に長く住んだから実感できたことは山のようにあるのは良くも悪くも宝物になったわけで、若い時の苦労は買ってでもしろとは言ったものだ。まだまだ私も青かった。だからこそ感じられたこともあるし、わからないがために数々の失敗もした。という現在も昔よりはマシ程度であり、心は永遠の5歳児。今年あたり、そろそろ大人にならなければと本気で思っている。

前置きが長くなったが、要するに一番今述べたいことは、人間はどんな些細なことでもいいから変化し続けることを望む生き物だということ。外的刺激を受け、内的変化もしくは成長したいと無意識のうちに望んでいる。それは精神的な変化はもちろん、実は物質的な変化も求めていると思う。

具体的にはヨーロッパの田舎の生活は、精神的な変化はあっても、買う物がなくて物質的変化が殆どない日々だった。そんな生活は刺激の多い日本の都会育ちの人間には耐えられるはずもなく、例えば刑務所には幸にして入ったことはないが、想像するにまるで刑務所生活に等しい日々のようだった。

日本の都会にしか住んだことのない人には想像できないかもしれないが、本当に物質的変化、それに伴う刺激を受けることのない生活がどんなに辛いか。変化を享受できる生活がどんなに恵まれているか。

音楽学生にとって留学に憧れるのは分かるが、私の経験から場所は慎重にと述べたい。どんなに素晴らしいレッスンを受けることができても、日常の生活が基盤なわけだから、そこを無視することはやめておいた方がいいと思う次第。

そこそこ上質であり、手頃な価格で手に入る物が、ありとあらゆる中から選んで買えるなんて、と日本の良いところを実感するのだ。