ガヴリーロフ先生の生の音を聴いてから数日しか経ていない。よって先生の弾く倍音の量や質、要するに基本のピアノから出てくる先生ならではの声はしっかりと私の記憶に残り、いつでも、アンドレイさんと書いてある私の頭の中にある引き出しを開けると、ガヴリーロフ先生のピアノを介した声が甦ってくるのだ。遥か彼方に聴いたホロヴィッツやニコラーエワの引き出しもあり、時を経て色褪せても、引き出しを開ければ甦ってくる。

で、思うのは、ガヴリーロフ先生の去年弾いたシューマンの録音を聴いてガヴリーロフ先生の本当の声が録りきられていないということだ。本当の先生のピアノから聴こえてくる声の核の部分だけで、倍音量は録音の100倍から1000倍くらい実際にはある。

いくら録音技術が進歩したとはいえ、それが現実だと思う。

改めて、さまざまなことを思い、考えに耽ってしまった。こんなに違うとは、判ってはいたが想像以上の驚きである。

ガヴリーロフ先生の演奏を録音だけで知っているだけでは、ガヴリーロフ先生の演奏を知っていることにはならないと思う。