一昨年のガヴリーロフ先生の演奏を聴いて書き留めたこと
昨日、東京文化会館にてガヴリーロフ先生の演奏を拝聴してきた。先生ならではの演奏は、世界にふたつとない非常に貴重な体験とも言えるミラクルな世界であった。頭のお堅い方からすれば、その演奏は驚愕とともに否定ということに繋がるかもしれない。大抵の場合、人は自分の常識や理解の範囲を超えると簡単に拒絶するものだから。
それはさておき、ガヴリーロフ先生は、美しい音を持ったものが陥りやすい耽美主義者ではなく、その演奏から私は、美の世界に毒を持った世紀末ウィーンの芸術に何故か思いを馳せることができた。総じてフレージング、ペダリング、選択する音色など、全ての要素が作品やモーツァルトに関しての深い洞察が基盤になっており、一見アンバランスとも思えるテンポ設定と思いきや、終演後に全てを俯瞰していたと思わせる満足感を与えてくれた。理想とする音楽の為には敢えて危ない橋も渡ることも厭わないその姿勢に心からの賛同と敬服しかない。それはガヴリーロフ先生の魂の叫びであり、その精神世界の域に到達した者にしか共感されない、もしくは聴く者が憧憬を持って見上げる、そういうレベルの演奏であり、世界でもトップクラスの数少ない演奏家であり、真の芸術家にしか成し遂げられない崇高な世界を具現化していたと言えよう。そして、聴くものが、己の無知を思い知らされる現実を突きつけられる、ある意味で試練を味わう演奏でもあると思う。例えるならば世界中のどこの店にも置いていない、購入出来ない、たったひとつの貴重な何かで、その貴重さ故に、どれだけお金を出しても売ってもらえない何かのような。それほど卓越した世界に人々は歴史的体験をしたに相違ない。