人間はおもしろい。自分のことをわかっているつもりでも、他者から客観的な意見を訊くと、大抵、思ってもみない言葉を言われてしまう。言われて初めて気がつく場合もあるし、なんとなーく気づいていたことを、自分では認めたくないものだから、やっぱり言われてしまい傷ついたりする。それは理想の自分と違うからであろう。それじゃ理想の自分って、どれだけ素晴らしい人なんでしょうね?そんなに都合の良い自分なんて、地球上のどこを探したって、前世にも後世にもいないでしょう!
つまりは、理想の自分ではないのが現実だから、理想の自分を追い求めて、何かに向って生きることができる。そんなもんじゃないでしょうかね。で、認めたくない心理とか真理と言ってもいいい。人間は良くも悪くもプライドがあるから、そういうものを持ち合わせている。それは自分を守るためかもしれない。野生動物に備わっている危機意識。人間にもいくらかは残っているはずだ。この意識が自分の首を締めることもある。何が言いたいかといえば、自分の内側にあるものに対してはなんの疑問も持たずに肯定できても、新しいことや外側にあること、突拍子もないことに対しては否定的だ。正直、世界中の演奏を聴いていて思うことであり、今までも今現在も、これからもピアノの世界的演奏水準の平均値は変化することなく、悪くいえば中途半端な状態、過渡期といえば聞こえはいいが、永遠に過渡期のままでは先がない。世の中には、名があるなしとは関係なく真理を悟っている人材は、この地球上に少数派ながらいるものである。どんな分野においてもである。その少数派の意見や考えに目を向け、耳を傾けることで、実は世の中は変化してきたと思う。まさにそれは異端と呼ばれることや人だ。異端が異端ではなくなった時、異端が世間で認められてスタンダードになった時に、世界は大きく前進すると思う。それがなんであれ。
ピアノって奥が深いし、様々な異端が存在していると思う。異端なことや人から、目を背けるのではなく、じっくりみてみりゃいいと思う。それが自分の思ってもみない外側にあることでも。