偉大であれば、どんな作曲家の作品にも存在することなのですが、私は特に特にスクリャービンをレッスンしていて思います。
生徒さんの中には音楽を言葉に置き換えたがる方が結構いらっしゃるのですが、言葉にならない、言葉には言い表せない内容が殆どだと思うのです。もちろん言葉に置き換え、言い表した方がある意味では理解しやすいとは思います。でも、言葉というのは便宜上存在するものであり、その言葉の持つ概念、意味合いも人により様々ですし、限定されてしまうという欠点、弱点があります。スクリャービンならスクリャービンの宇宙を言葉に限定して表現することには大きな抵抗があります。あまりにも広く深く、繊細で複雑な内容を一言でなど言い表せません。もし敢えて言うならば、すべてがカオスでありカオスでしかない、だけれどもそこにはカオスではない秩序ある相反する矛盾する世界が確立されています。
そう、例えて言うならば、手に取ることのできない空気の振動であり、気体なのです。それは心にぽっと浮かんだ何かであり、あくまでも表象に過ぎないのです。それが音楽を表す適切な表現だと私は感じています。皆さんも無意識にのうちに同じように捉えていらっしゃるのではないでしょうか。ですから、もちろん思考することは、過程に於いて不可欠ですが、最終的な決断は感覚でしかないのです。だからこそ、アンテナを張り巡らし、日々の日常すべてにおいて五感を張り巡らすことが大切なのです。