私は子供の頃から劣等生でした。私のプロフィールには載せていない何人かの先生たちから、「あなたは才能がない」「本当に真面目に練習してるの?」「あなたは遅く始めたからテクニックがない」「あなたの手にやけどの跡があるけど、これが原因で弾けないのかしら?」
もっとひどい場合もありました。
翌週、学生コンクールの予選を控えている私に向って
「万が一、予選をとったら本選を聴きに行くわ、あら、ごめんなさい、百万が一よね!」
と言われたりしました。
また、他の先生からは
先生「来年受験はどこを考えてるの?」
私「○○大学です。」
先生「ふざけないでよ!あなたなんか××大学がやっとよ!××大学なんて男が行ったって将来食べていけないからピアノやめなさい!」
というような具合でした。
その人の将来を左右することを簡単に教師は言ってもいいのでしょうか?
これは私の手の構造が、一般的な奏法に向いていない構造だったからです。指の関節が柔らかく、生まれつき指の独立が悪い手だからなのです。
同門の生徒たちは、私よりも難しい曲をいとも簡単に軽々とノーミスで弾いていました。中には中学生でショパンの3度のエチュードやリストの「鬼火」を何の苦もなく弾いたという人もいました。
私は日本の学生時代、劣等生として、自分にはテクニックがないというコンプレックスの塊でした。人の何倍努力しても弾けるようにならない自分がいてとても苦しかった。
今から思うと、才能がないと言われ続けていたわけですが、才能の問題ではなく、弾き方、奏法と手の構造の問題だったということに気が付きました。
よく、あの先生はコンクール入賞者を次々に出している素晴らしい先生だと耳にします。本当に素晴らしい先生なのでしょうが、現状はもともと弾ける子供たちが、その先生のところに集まってきているだけだと思います。その先生についたから、飛躍的に弾けるようになってコンクールに入っているわけではないと感じます。もともと人並外れて弾ける子が、その先生の下で音楽的に整えられているというパターンが多いような気がします。弾ける子は放っておいても弾けるようになります。弾けない子はどんなにまじめに努力しても弾けないと思います。もちろんコンクールに入賞するということがすべての目標でもなく絶対的なものではないとは思いますが、社会的に注目されることは間違いないでしょう。そんな先生の中には、もともと弾ける子だけをかわいがったり評価したり、そして残念なことには、それほど弾けない子を「才能がない」と簡単に片づけてしまう。もっとひどいと、弾ける子しか教えないというばあいもあります。
弾けない子を弾けるようにするのが、本当のいい教師ではないでしょうか?もちろん、これは技術面だけでのことであって、技術以外の音楽的、哲学的な意味でよい教えをするのも教師としては大切であるのは言うまでもありませんが。
日本の音大生の多くは、ドイツやフランスに留学して、ドイツ人やフランス人の先生に習い
主に音楽的なことを主軸にレッスンが展開されていると感じます。
私は、ヨーロッパにいたころ、色々な先生のレッスンを受けました。中でもイギリス人ピアニスト、マイケル・ロール先生の初めてのレッスンにおいておっしゃっていただいたことは今でも忘れません。
「君のテクニックは古いテクニックだよ。僕のところで勉強したければ基礎からやり直さなければいけないね。」
ショックでしたね。
要するに、先に申したようにドイツやフランスの先生方からは、私も含めて日本人のテクニックが古いテクニックだと指摘されることは、ほぼないと思います。もちろん個人差はありますので、絶対ないとは申しませんが、多くのヨーロッパから帰国した日本人の演奏を聴いていて残念ながらそう思わざるを得ないと感じることが多々あります。
ですから、往々にして古いテクニックで自分が弾いているという意識もなく日本人は弾ているし、古いテクニックを教えているという認識もなく教えているのです。イギリス人のロール先生からすると、申し訳ないけど、ドイツやフランスで行われている奏法は古いテクニックであり、もちろん日本人も例外ではないのです。
ドイツやフランス、広くはハンガリーやポーランド人ピアニストも含まれると思いますが、生まれつきその弾き方に適した手の構造をもって生まれてきた人だけがふるいにかけられて弾けるようになるというのが現状なのです。
それは古いテクニックに対して新しいテクニックの特徴は?ということになるわけですが、簡単に申しますと、関節で支えるのと筋肉で支えることの違いと指の独立性の加減が演奏に影響してしまう奏法か否かということです。
どんな手の構造をもって生まれても、弾けるようになる。誰でも弾けるようになるのが本当に良いテクニックです。それを知り、教えることができる教師が本当にいい教師ではないでしょうか?
手の構造によって左右されてしまう弾き方しか知らず、その弾き方に相性の合う手の構造をもって生まれてきた人以外、「才能がない!」といって切り捨ててしまっていいのでしょうか?
思うに、私の子供の頃と今の日本は未だ基本的には変わってないと感じます。私の昔の頃と同じように、理不尽に人格否定をする高圧的教師の存在や努力しても努力しても弾けなくて困っているかわいそうな子供や学生、そして多くのピアノの道を諦めざるを得ない人々が大勢いるのだろうと思います。
それを思うとなんとも言えない気持ちになりますね。