私は私が自分で実際にどんな演奏をしていて、客席にいる人にどんな風に聴こえているのかは本当のところはわからない。どんなに優れた録音技術であっても空間に満ち溢れる倍音というものを100パーセント録ることはできない。だから弾きては聴き手に感想を聴くことで想像するしかない。

昨年の発表会で、生徒の吉永哲道の弾いた1曲目のラモーの演奏はちょっと衝撃的だった。

私がどんな言葉で形容しても、その現実に表現された倍音の世界は伝わらない。その場に居合わせた人にしかわからない世界。

敢えて言葉で表現するのは難しいが、響きが膨張してみたり、委縮してみたり、まるで生きているアメーバのごとく、その響きの層は変幻自在に変化する。それは摩訶不思議なことでもあり、究極の美なのかもしれない。

言葉の子音が全くなく母音のみで楽器はなっていた。溶けたアイスクリームのようにとろけていた。それは蜃気楼のように存在し、現実的な存在を感じさせてはならない。神秘的でなければならない。

もちろん世の中にはいろいろな演奏があるし、それぞれが魅力を放っている。

その中の1つとして、倍音のみの世界と言ってもいい演奏もあると思う。