生徒の演奏を聴いていて、25のタッチをまだ教えていない演奏を聴いて、どこまで私が耐えられるのか?試してみた。まずはメロディーだけに注目してみたところ、1フレーズはもちろん!私の耳の、頭の意識はもたない。だからと言って1音1音とまでは思わない。自分の感覚に訊いてみた結果、2つまでなら同じ音が並んでも耐えられる場合はあることを思った。でも3つ目は、もう耐えられなかった!もちろん厳しく言ってしまえば、音楽的に自然な表現を実現するあまりに1音1音変えるべき時はあるが、ほぼ2つ同じ音が並ぶまでが限界だと思った。同じ音が3つ並んだ瞬間、私の中では、大げさだが「あちゃー!この世の終わり!」のように感じてしまった。そんな自分をなんだかおもしろいと思った。今まで、生徒の演奏にそこまで求めていないで、美しい音なら同じ音がたくさん並んでいても容認していたのに、自分自身の感覚が変わっただけで、こんなに当たり前のことに気が付いていなかった。勝手なものだ。思うに、世の中自体が勝手なものだし、自分も例外ではないのだった。考えてみたら、ホロヴィッツやアルゲリッチは当然のこととして行っていること。彼らの感受性と技術がリンクして開花している芸術の特徴の1つなのだ。今回の発見によって、また1つ扉が開かれたような気がする。次の扉はいつ、どんな扉が開かれるのだろう。それを考えると、子供に帰ったかのごとくワクワクしてくる。やっぱり、音楽っていいなぁ。