毎年、春が近づいてくると、私は19年前の春に亡くなった父に思いを馳せる。春のおだやかで優しい日差しに包まれた父は、まるでその死が父にとっても私たち家族にとっても日常の当たり前のことのように、本当にあまりにも自然で安らかに息を引き取った。父の寡黙で穏やかな生きざまの集大成のような最期だった。

私が小学校6年生の時、本格的にピアノを学ぶことになった。当時千葉の検見川に家はあった。先生のお宅は杉並の高井戸。片道2時間。それでも毎週土曜日の4時にレッスンを受けに通った。行きは私一人だったが、帰りはいつも会社を終えた父が5時に高井戸駅のホームに迎えに来てくれた。

父の家はクラシック音楽や芸術には全く縁がなかったので、父にとってはクラシック音楽など未知の世界だったに違いない。しかし、本格的にピアノの道に進もうと決心した私を父は心から応援してくれていた。さり気ない愛情を注いでくれた父。今から思うと、よくいるステージパパのような存在では決してなかった。自分の父ながら、程よく私や先生との距離を保ち続けながらも協力を惜しまない父には心から感謝。

晩年、肝炎を患っていた父に、残された道は肝臓移植のみだった。このことは今まで誰にも話していないのだが、私は父に自分の肝臓を移植する手術を申し出た。がしかし、父はかたくなに断った。息子の身体を傷つけてまでも生き永らえようとは思わなかったのだろう。

ひとりの音楽家を育てることの大変さは、計り知れないものだと思う。父やもちろん健在な母には、その育て方や愛情のかけ方、音楽家を育てる、あるべき親の在り方というものを感じずにはいられない。