今は夜中の2時。都心に住んで20年になるが、昼と夜とでは別の顔を持つ街になる。ひっそりと静寂に包まれるこの時間。1日が終わり心からの安堵と充足感に満ち満ちたこの時間に私の心は自由になる。今日はあいにくの雨。がしかし、静寂の中に聞こえる夜中の雨音は、自然の恵みであると思うと心が安らぐ。そよ風の音とか、雪がしんしんと降る音とか。思うに都心の喧騒の中で日々暮らしているのと、遠い昔に作曲家達が住んでいた環境は明らかに異なるはずだ。自然の音には何か人の心に及ぼす自然の恵みのパワーが含まれてるに違いない。そう、私が子供の頃はもっと自然の音に敏感だったし、日々共に生活していたように思う。昔の作曲家達の耳にも同じ音が聞こえていたはずだし、もっと身近であり、ともすると当たり前だったはず。そんな環境に置かれていた耳は、現代に生きる人の耳とは違ったのではないか。自然の音に耳を傾けることは、現代の人にとって、実に貴重なことなのかもしれない。それは何かというと、耳が普遍的に持つ力というか、耳という器官の持つ可能性。残念ながら現代の人の耳の力は衰えてしまっているのかもしれない。イマジネーションもわかないのかもしれない。自然の音に耳を傾けていれば、耳は開かれてくるはずだ。