ある日のこと。高校3年生の青年のレッスンをすることになった。そこに現れた青年は緊張した面持ちで高校生らしく、いわゆる黒の学ランを着ていた。第一印象としては、真面目そうで穏やかなで物静かな雰囲気を醸し出しているが、多分中身は表面とは裏腹に何か非常に強いエネルギーと確固たる意思が伝わってきた。色に例えるとグレー?笑
(さあ、この青年はどんな演奏をし、私は何を言ってあげるべきことになるのだろう?)
楽しみではあったが、少々怖くもあった。なぜなら、一般に多感であろう年頃の青年には彼なりのプライドもあるだろうし、それを傷つけたくはなかったから。それに何しろ色はグレーなのだから、私次第でどうなることやらと思ったのだ。
「それじゃ、持ってきた曲を弾いて下さいね。」
緊張している彼に対して、私は努めてフレンドリーに言った。
バッハの平均律の第1巻の第3番のプレリュードとフーガを弾き始めた。
その演奏は彼の心の底に無意識に感じている音楽、それはバッハに対する真摯な気持ちからくる非凡な何かを感じさせた。ある意味きちんと弾けていたが、その青年が受けてきた後天的な部分と言える音楽の解釈とテクニックの基本に違和感を感じた。
たとえて言うならば、標準語と関西弁の違いのようなものだ。
その頃の私はバッハと言えばタチアナ・二コラーエワのような演奏を好んでいたし、またそうあるべきだという信念があった。
その私からしてみると、演奏に立体感がないように感じた。
ロシア流のタッチを試しに示唆した。
Cis-durで黒鍵が多いので、安定感を得るために、ホロヴィッツのごとく、思い切って指を伸ばさせた。
それを彼は表面には自分を出さずに淡々とこなしていった。
そしてバッハであっても、無表情にならずに、それぞれの音の役割、要するに音色の違いを出さねばならず、そのためにはどのようなタッチが妥当なのかということを教えた。
最初のレッスンは、そのような感じだった。
一通り終えた後、今後の進路については僭越ながら言わせてもらった。
なんでも大阪の音大を目指しているという。
それに対して私は、彼をできるならば私が何とかしてみたいという気持ちもあり、自分じゃなくても応援したい気持ちになった。
また彼の持っている非凡さから、思い切って東京の大学に進学してみないかということを言ってみた。
一見無表情で内向的な彼が、「そうします」ときっぱり言った。そこには彼の持つ強い意志がはっきりと見て取れた瞬間だった。グレーがほんの一瞬だけ、強い衝撃的な赤に変わった。
正直驚いた。まさかと。レッスンを受けているときに彼がどう思って受けているのかが、全く私にはわかずじまいだったので、心が読めなかった。
だから、私に習うと意思表示されたのは、私にとって驚きだった。
あれから23年の時が過ぎた。今、彼は桐朋学園大学で教鞭をとっている。
これは川村文雄との最初のレッスンの話。
あんなに無口だったなぜかグレーの色をしたつぼみが、今では色鮮やかに開花した。
紆余曲折を経て今に至るが、彼はそんな高校生だったのだ。
ちょっと懐かしい思い出だ。