コンクールが今のようにたくさん存在しなかった私の学生時代。だから大昔の話。高校生だった私は、今でもそうだがコンクール嫌いだったのだが、なぜか学生音楽コンクールに挑戦してみたくなったのだった。何が私をそうさせたのかは未だに持って不明。

その年の課題曲は平均律の第二巻の第3番と第24番、ショパンのエチュード作品10-4と作品25-5が予選。本選はショパンのスケルツォ第3番だった。

春に課題が出て、夏休みも課題曲に明け暮れて、あっという間の10月2日が予選だったような気がする。今から思えば青春をかけていたのかもしれない。なにせ修学旅行と予選の日程が見事にかぶってしまい、修学旅行には行かないで臨んだのだった。

当日、バッハとショパンの課題曲を我ながら颯爽と弾ききり、通過間違いなしと自信に満ちて結果発表を待った。

がしかし、私の番号はなかった。半年間の努力が一瞬のうちに砕けた。会場の銀座ヤマハホールを後にした帰路の電車の中で、なぜ?という言葉が何度浮かんだろうか。

高校生でアホだった私の頭に思慮深く自己反省などというところにまでは考えが及ばなかった。

後日、先生のそのまた先生が審査員だったので電話で講評を伺った。理由はショパンでちょっとテンポが速くなったからだという。それだけ?それが落ちた原因?ととっさに思った。なんだそれ?修学旅行に行かないで頑張ったのにそんな理由で落ちたんだ。

唖然としたのを憶えている。高校の先生にも、クラスメートにも、両親に対しても、とにかく恥ずかしかった。

 

私の青春は終わったと思った。今から思えば大げさなのだが、多感な時期には正直こたえた。

この経験がトラウマになったのかもしれない。今でも若い人たちがコンクールを受けることに心から賛成できないのは。

 

コンクールを受ける心の準備のような、精神的成熟度なくしてコンクールを受けても、結果にかかわらず負の部分が大きいと自分の経験から感じるのだ。それよりももっと大切な勉強、基礎を学ばなければならない大切な時だと思う。特別、早熟で聡明な人を除いて、コンクールなんて簡単に受けるものではないと感じる。

 

と言っても、今の私には懐かしい思い出でもあるのだが。