芸術家としては没個性と思われるより個性的でいたい。

それは生き方そのものがそうでなくてはならず、私は今の境遇に十分満足している。それは「自由」という言葉に尽きると思う。ここにこうして「自由」に思うことをつづることができるのだから。

留学中を思い出しても、あの時は「自由」がたっぷりあった。

一東洋人の留学生として、皆が好き勝手に生きているヨーロッパの多様な価値観の中、私も好き勝手に生きていた。もちろん、当時からロシアピアニズムの研究を始めていたから、ある種の苦しみと楽しみという相反する気持ちで日々過ごしていた。素晴らしい演奏を聴いては涙し、それが出来ない、どうしたらいいのかわからない苦しみの中にいたが、自分から能動的にすべてを行う毎日、そこにはもちろん責任も伴うが、そういう「自由」を満喫していた。

健康を害し、仕方がなく全面帰国したのだが、久しぶりに住んだ日本が私には牢獄のように感じられた。皆が同じ価値観のもと、まるで共産主義の国にいるような錯覚を覚えた。

 

そう、留学中の話。

周りは基本的にヨーロッパ人ばかりが目に入って来るから、髪の色から服装まで千差万別であり、色彩的に色とりどりで比較的明るい色が否が応でも目に入って来る毎日。ヨーロッパ人の多くは、思うに自分の目の色、青、緑、茶を自分で意識して服を着ているように感じられた。だから鮮やかなブルーやグリーンのシャツやブラウスを着ている人が多かった。

そんな毎日を送っていたのだから、日本企業の多いドイツのデュッセルドルフの日本料理屋でランチに入ってきた日本人サラリーマンたちの集団を目にしたときに、私は強烈な違和感を感じた。黒い髪の毛、そしてダークスーツの集団を見たときに、昔フランスの大臣が日本人のことを昆虫の「アリ」呼ばわりして物議を醸しだしたが、私にとっても、その集団はまさに「アリ」だった。あっけにとられていた私の横のテーブルに着いたその「アリ」たちは「僕も同じもの!」と皆がそろって同じ料理を注文していたのだ。

 

「井の中の蛙」という言葉が思い浮かんだ。

没個性な日本という国。本当はそんな国じゃなかったらしい。大正時代のドラマを観たが、皆、今の日本とは違って個性豊かな服装、髪形をしていたものだった。思うに、その後の大戦のおかげで、何か大切なものが失われてしまったのかと思う。

 

皆と同じだと安心する気持ちがわからないでもないが、ピアノの演奏にも大きく影響を及ぼしているように感じられるのは私だけではないだろう。